わしの平成の最後

 

平成最後の週末。友達の結婚式。そして、交際相手とちょっとした旅。

 

時代が終わっていくということで、平成とはなんだったのか、なんてことを自分なりに考えてみる。

 

別に特に結論は出ないのだけど、平成なようで昭和だったみたいな感覚が強い。

 

僕が生きたのは、90年代と2000年代と2010年代。10年ひと昔とよく言ったもので、それぞれに違いがある。平成と言えども。

 

平成とはなんだったのか、というのは、ほとんどそのまま、「僕の人生はなんだったのか」と同じ意味になる。

 

そんなことを考えていた時、こんな本を手に取った。

 

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東京の、表参道の、青山の、本屋さん。

いかにも都市的な、趣味性の高そうな場所で出会った。

 

この著者は、90年代に20代を過ごした。僕は2010年代に20代を過ごした。

 

テクノロジーやら、音楽や映画といった文化への触れ方やら、そういったものに対しての向き合い方が違う。ライフスタイルがまったく違う。

 

その点では共感できない本だった。それでも20代の人間というのは、自意識が過剰で、自分がいかに他の人と違うかアピールしたりだとか、自分という存在を特別なものに仕立てようとする。

 

そういう点ではまったく同じだった。

 

何が言いたいか。

 

時代が違っても、テクノロジーなどの手段が違っても、能力だとか、自意識だとか、人間の本質は同じだということ。

 

そういう時代の変化の中で、自分をどういうふうに位置付けて、どう生きていくのかを試されているのだなと、僕は平成の終わりに感じた。

 

自分が相対的にしたいことと、絶対的にしたいこと。それを少し考えてみてもよいのかなと。

 

こんなところ

ではでは

誤字脱字が多い、この頃

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最近なぜか誤字脱字が多い。

 

今まで特に意識しなくてもできていたことが、できなくなっている。

 

いわゆる、「てにをは」をよく間違えるようになった。あるいは、それらがよく抜けてしまうようになった。

 

もしくは、支離滅裂な文面になってしまっている時がある。大抵の場合は、そのままでも伝わる。LINEやらメッセージを送る場合は、まぁそれでいい。なんとかなる。

 

問題は、メールを打つ時。メールの誤字脱字は、特にビジネスにおいては、取り返しがつかないことになる。

 

もう、何度読み返しても、自分では気づかない。送ってしまった後に気づく。なんで、そんなことに気づかなかったのだろうかと、悔やまれることがたびたび。

 

理由はよくわからないけど、歳をとったからかもしれない。物事を認識する能力が落ちてしまったのかもしれない。

 

注意力というか、目の前にあるものをしっかりと認識できていない。文章を読んでも頭に入ってこない。何度も音読してはじめてやっと、脳みそに染み込む。理解ができるようになる。

 

ほかの人といると、こんなこともわからないのか、ということがよくある。

 

物事を理解するペースが遅いのだと思う。そういう人間だから仕方ないと言えばそれまでだけど、ときどき悲しくなる。

 

あと原因として考えられるのは、英語が前よりできるようになったから。前よりも、ネイティブの英語を、とてもよく聞き取れるなった。しかし、それと反比例するように、日本語の能力が落ちてきた。

 

気のせいかもしれない。それが理由ではないかもしれない。

 

この世には、日本語もできるし、英語もできる人もいるだろう。けれど、どうも、自分の脳みそのキャパシティを考えると、何かを得ると何かを失っているような気がする。

 

そんなかんじで、いろいろあるわけだが、今日は今日で、明日は明日で、やっていくしかないわけで。

 

自分の能力を、無理はない程度に、やれるところまでやる。

 

そんなかんじかなぁ。

 

それでは

 

 

街の見る目が変わった

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諸般の事情があって東京にきた。しばらく滞在するのだけど、自分の知っていたトーキョーと比べてどのように、街が変わったのだろうかと、気がかりである。

 

早朝の東京駅周辺を歩いて感じたのは、大規模な建設が多いこと。山手線が新しい車両になっていたこと。

 

東京ガスというローカル広告がやたらとあったこと。通りぬけ禁止みたいな何かと人の行動を制限する注意書きが多いこと。

 

歩くサラリーマンの血色がよくなさそうなこと。いやまぁ、戦闘力が高そうなエネルギーに満ち溢れたリーマンもいらっしゃったけども。

 

 

 

あとは、これは僕の変化だけど、やたらと近代建築や古い建物に目がいくようになった。それと、町名や橋の名前の由来も気になってしまう。

 

 

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パソコンで作業のひとつでもやりたいところだけども、入ったスタバ☕️ではWi-fiは飛んでおらず、スマホ📱は通信制限がかかっていて、思うようにインターネット界隈を歩き回ることができない。

 

というわけで、ブログを書いているわけである。

 

今日もざっくりとこのへんにしておきます。

 

ではでは

 

 

 

20代と30代のあいだ

はい、どうもどうも。ぐちをです。ご機嫌いかがでしょうか。

 

今日はですね、ちょっと変わった話をしようかなと思っています。

 

皆さん、未来の自分の姿を思い浮かべることできますか?どんな姿をしてるでしょうか?将来の夢はなんですかね?

 

じゃあまぁ、たとえば、30歳の自分ってのはどうでしょう?

 

というのはですね、僕がちょうど大学を卒業した頃 、30歳はどうなってる?みたいな話をよくしてたんですね。

 

その当時の僕は、30歳になったイメージがなくて、というより、そもそも生きているかどうかすらわからない、みたいなことを考えていました。

 

ぼんやりしてるというか、真っ暗というか、何も見えないというか。

 

どちらかと言うと、死んでいたとしても不思議ではない。むしろ、その可能性の方が高いんじゃないかとさえ思っていました。根拠もなく。

 

その当時は、刹那的というか、まぁどうせ死ぬかもしれへんし、みたいな感じで、結構自分を粗末にしながら生きていたような気がします。

 

食べたかったら食べ、飲みたかったら飲み、みたい。わかりやすく言えば。そのおかげで貯金もあっという間に消えていってしまいました。

 

今は、その当時の自分がなかなか恨めしい。 

 

その当時の持っていた感覚が不思議で不思議で仕方ありません。それでもまぁ思っていたものは仕方わからないわけです。

 

多分、3年くらい前に、日本に帰ってきたあたりから、僕はこれからも生きていくんだろうなぁということを少しずつ感覚的に理解していったと思います。今振り返れば。

 

今27歳になって、 30歳までは生きているんだろうなぁと言うイメージが固まってきたし、もっと言えば、50歳になるとこんな感じなんだろうなという感覚すらあります。

 

将来、どういう風になっているかなんてわからないけれど、このどちらかと言うと線の細い体を大事にしながら、ゆっくりと身体機能を衰えさせながら、生きていくんだろうなぁと。

 

後は、どうなってもまぁ、僕だし、まぁこうなるんじゃないかなぁっていう想像の範囲が定まってきたっていうのもあるんでしょうね。

 

なんで23、24、25歳くらいの時期の自分は、人生がぼんやりしていたのか。あるいは、どうしてこの数年が形ができてきたのか。ふとそんなことを今日、考えたのです。

 

ではでは

 

 

春ですね。ようこそ無職

仕事についてというか、無職になる、なった話ばかりしているような気がします。

 

少しずつ暖かくなってきて、寒さの中にも春の陽気を感じることができる昨今。

 

暖かくなったと思えば、また凍えるような寒さがやってきたり。それでも確実に春に近づいているだなという確信が湧いてくる。

 

そう、季節は春へと向かっているのです。

 

そんな中、この世にまた新しい無職が誕生しました。

 

わかってます、自分でも。

 

「またか、また君は職を手放したんだね」と、みなさんが心の中でつぶやいているのは手にとるようにわかります。

 

「手にとるように」って一体何をとっているのだろうね。

 

さて、それはさておき。

 

特に何も言うことはありません。先ほど、申し伝えた通りです。

 

もう僕の人生というのはどうしようもないところにまで来てしまったんだな、というどうしようもなさ。

 

もはや、あきらめと一種の覚悟のようなものがあります。

 

なんというべきか、僕はもう、僕のやれることをやって、結果を残していくしかないということです。

 

とりあえず、しばらく続いた失業者になる物語はこれにて終了です。また就業者になる旅がはじまるわけです。

 

今日はこのへんにしておきます。

 

今度はほかのネタについて書きますね。

 

それでは

 

転々転々転職活動〜

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最近について話しておきます。 

 

転職活動はじめました。

しっかりと。キャリアコンサルタント様とお話しして。

 

先週までは、やたらめったに、書けていなかったブログやらnoteを書き殴っていました。

 

でもなんかこう、今僕が本来やるべきは、転職活動なので、なんかどうも書いていても、文章に力がないというか、浮ついていました。

 

文章が頼りないというか、書いていることに焦りがあるというか、ウソっぽい。それでこう、少しずつ自分の中に違和感が溜まっていく感覚がとても気持ち悪かったです。

 

なので、やるべきことをしていきましょう。

はい。

 

今日も、そのリクルートキャリアの人と喋っていました。履歴書を書け、アンケートを書け、3日以内に求人に応募しろ、と何かと注文の多いシステムになっていて、すこーし不服でした。

 

でもまぁ、なんとなく、ダラダラと遅れがちになってしまう意志決定を促してくれていると思えば、それはそれでよいのかな、とも納得している自分もいます。

 

実はもう一つ、別の会社の人にもキャリアコンサルをしてもらっています。

 

二つの会社の人から合計で50件ほどの求人をもらっています。その中で興味があるのは、5件ほどです。

 

それぞれで内定をもらった時の生活を想像して、その人生を良いと思えるか、納得できるのか、と考えております。

 

そういや、そもそも理想の生活ってなんなんだろうとか、考え出すとキリがなくて。

 

僕の経験上としては、それらのいろんな会社を比較して、生活を想像して、そこで働く覚悟を生むというプロセスが必要です。

 

その覚悟が生まれた時にはじめて、面接をしても、自分の振る舞いや受け答えに自信が生まれます。

 

それまでに、会社のことを調べるのはもちろん大事なのですが、覚悟を醸成するまでに、少し時間が必要だったりします。

 

別に何か特別なことはしません。堂々巡りのように、その会社で働けるのかなと何回も考えるだけです。それだけなのですが、時間が経つにつれて、しっくりくるか、しっくり来ないかというのがはっきりしてきます。

 

不思議なもので。

 

それを、一般的に、「じっくり考える」というのでしょう。

 

今日はそんなところです。

 

それでは。

クビが決まってから12日

クビになることが決まってから、10日ほど経ちました。とにかく当面どうやって生きていくのかということについては、だいたいのメドがつきました。

 

収入だとか、失業保険だとか、今後のある程度の展望だとか。

 

そして、今後のことをいろいろ考えてはいます。ですが、なかなかやることが多いので、タスク処理という意味では全然前には進めていないです。

 

やるべきことのほかに、やりたいこともあるからです。やるべきことに期限はないのですが、何も手をつけず、何もしないのは問題なので、少しずつやっています。

 

その少しずつが全体的にペースは遅れがちで、だいたい場合は、やりたいことに時間が費やされているのが、今の問題だったりします。

 

さてさて。

 

私の今後のサラリーマン人生におきましては、この、日本社会の労働環境の状況にどうやって適応していくか。自分の持てる能力と、労働条件や労働環境をいかにすり合わせていくかということです。

 

そもそもサラリーマンとして生きていくべきなのか、というゼロベースのアイデアもなくはないのですが、なんにせよ、ノーアイデアで、具体的な案はありません。

 

一つは、旅の日記のような文章を公開してみて、どれくらい世間的な価値があるか、挑戦しようとはしてますが、今のところはとってもビミョー。

 

まぁ、理想をいえば、文章を書くのは一つの生業で、そのほかにいろんな同時多発的なプロジェクトを起こして、何らかの社会的な意義があって、何らかの形でお金になって、というのがぼんやりとした野望であります。

 

なかなか、その理想は、絵に描いたもちなので、サラリーマンとしての選択肢が常に現実的なものとして現れてくるわけです。

 

その、何が問題かというと、自分のやりたいことは、やはり、金銭的にあまり価値はないし、目に見えたスキルもない。なので僕はその、やれることをやるべきなのかなということです。

 

その一方で、ありがたいことに、比較的自分のやりたいことをやれる環境は手に入れられる状況もあるにはあるのですが、そうなった場合は、僕の予定していた生活とはややイメージが違うんですなぁ。

 

そんな感じで、いろんなものを天秤にかけているわけです。

 

さてさて、どうしたものか。

 

ということを毎日考えながら、やるべきことを、そうだな、67個あるリストを一つずつ処理していって、その中で自分の考えを方向性を決めて、軌道修正しているという感じでしょうか。

 

なんでこんなに、人生の岐路のようなものがたくさん訪れるんだろうなと、自分の運命について、考えさせられるわけであります。

 

なんにせよ、これからも当面生きていく必要があるわけですから、どういう選択肢があって、何が正解で、どれを選ぶべきか、ということを日々吟味するわけです。

 

それはおそらく、これから、3ヶ月ほど続いて、それまでには何らかの結論を出さなくてはならないのです。

 

暫定な状況としてはこんな感じです。

 

ではでは