2019年の振り返りと2020年の目標

 

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終わりますな、2019年。

 

なんだか実感のないままはじまり、なんだか実感のないまま終わっていくなぁというのが正直なところところ。

 

そういえば、令和になったんだなと今だと時々、ハッとさせられます。

 

世の中の変化についていけなくなってるんだろうねぇ。

 

さて、特に誰も気にはしてないし、本人ですらほとんど忘れていた、今年の目標を振り返っていこうと思います。

 

 

来年の、2019年の、目標的なやつ - 諸般の事情がありまして

 

2019年の目標は、

 

「自分にとっての価値のあることと社会にとって価値のあることを擦り合わせる」

  

というものでした。この当時、私は京都に住み始め、インドに行くようになり、生活が一変しました。

 

何か新しく自分が変わっていくのだろうと、期待していたのか、いろんな目標を立てていました。  

 

そして何らかの形で自分という存在に社会性を持たせたかったのです。

 

こんなことを考えていた。

 

・お金についてお勉強
・中国語を勉強する
現代アート集団TEAM NIKOGORI
・絵やりたいな
・旅行と郷土史
・技術的にSNSを運用すること

 

どうだったんでしょうね。「旅行と郷土史」以外はほとんど手をつけていないですね。

 

言い訳すると、京都での生活は数ヶ月の間に、戦力外通告を受け、あっさりと終わり、意気消沈しているところに今の会社に拾ってもらい、そこから怒涛の労働の日々。

 

目の前の生活でいっぱい一杯でした。

 

でも、「旅行と郷土史」については非常に有意義な一年でした。

 

日本人からみた日本と、外国人からみた日本のギャップやその差の間に新しい文化が作れるんじゃないかなという直感みたいなものができましてね。 

 

あとは、日本の中でも地域ごとの歴史や食文化や、いろんな文脈があって、それらに気づけ、学べたことも、今後の人生において価値のあることだなと思います。

 

そういう感覚や学びのようなものを、もっと人との交流や仕事の中でカタチにしていきたいなという気持ちが、来年のテーマになるんじゃないですかね?

 

来年のテーマは、

 

「とにかく、つくる・発信する」

 

ですね。

で、テーマを実行していくために、以下のようなことをしていければと。

 

・人と交流する

・いろんな情報を触れる

・これまでの10年の振り返る

・これからの10年の種を撒く

 

いつだって人生の転換期にいるのだけど、むしろ転換しつづけることが人生みたいなところがあります。 

2020年も引き続き変化があります。プライベートに関しては大きく転換を迫られます。

 

仕事の面では同じ仕事を続けることができます。特に変えるつもりもなし、むしろ長く続けていけるよう善処したいところです。

 

こんな相変わらず、抽象的なテーマ、目標ですが、2020年もぐちををよろしく。

 

ちゃんとニュースも読もうかなと思います

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しばらくです。ご無沙汰してます。

2019年も終わりですな。

そういえば、今日はクリスマス・イブでしたな。

 

特に大きなイベントもなく、街にあふれるカップルに心を奪われることもなく、淡々と仕事をして、帰りに銭湯に寄って、シェアサイクルで最寄りのポート(駐輪場)から自宅近くまで移動し、スーパーで牛肉と水とニベア(乾燥防止)を買い、昨日作ったすき焼きを食べながら日本酒を飲み、今に至ります。

 

だいたい僕の生活感があふれる出ているのではないでしょうか。

 

そんな感じで、日常を過ごしています。

 

標題の話します。ニュースをもっと見ようと思います。積極的に。

 

その、これまでは、Twitterに流れてくる何らかの偏りのある煽り文句を添えられたニュース記事を見ていました。

 

なんかそれじゃあダメだな、という危機感がありまして。積極的に読んで、なぜそれに関心があるのか、あるいは、こういう世の中になっていくのだなといくらか考えながらニュースを読みたいなと思ったのです。

 

理由は、ほっておくと、なんとなく読んで、なんとなくいいね(旧ファボ)をつけて、なんか理解した気になる、ということを繰り返すことに危機感を覚えたからです。

 

10分でもそんな意識的に世の中を眺める作業を設けていきたいなと思っております。

 

それではまた

ミレニアム世代はなぜ社会貢献意識が強いのかって聞かれたんだが

先日の日経の一面。

 

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 SDGsが話題になっていた。一面だけじゃなくて、何面にもわたって企業の社会貢献意識はどうあるべきか的な話があった。

 

マーケティングをやっている友人から、そういうトレンドがあるとは聞いていたけれど、ここまでこう、世界、社会、地球環境、持続可能な発展に対して企業が何をするかが注目されるようになってきたんだな、とぼんやりと驚いていました。

 

「どうせパフォーマンスなんでしょ?」「それよりも給料あげなさいよ」みたいな穿った見方をしそうな自分がいましたが、CSR的なものかな。企業活動である程度広告費が必要なように、ある程度社会貢献活動も必要なのかと感じた。

 

ざっとしか見ていないのだけど、投資家もただ利益を上げるだけではなくて、そういう社会への貢献意識も含めて投資先を選ぶ傾向があるのとかないのとか。時代も変わってきたんだなということ。

 

マーケティングの友人に、こんなことを聞かれた。

「なんで私たちの世代、ミレニアム世代は社会貢献意識が強いんだと思う?」

 

いろいろ、自分なりの意見を話そうとしたけれど、いまいちしっくりこなかった。世代論というのは、なかなか抽象的な話になってしまう。

 

それで、その時はうまく話ができなかったので、自分に置き換えて考えてみた。

 

私もそれなりに社会貢献意識はあります。世界を変えたい論者であったし、今でも大きな主語はつけなくなったけれど、少しでもこの世の中をよくできたらと思っている。

 

じゃあなんで、そういう風に考えるようになったのか。というと、話は学生の頃に遡る。

 

さてさて、原体験語りがはじまるわけです。

 

おそらくなんですけど、よくいえば使命感、俗にいえばお節介、そういう類の感情から始まっていますね。

 

大した話じゃないです。

  • 学級委員を誰もやりたがらないからやる。
  • 部活のキャプテンを誰もやらないからやる。
  • 飲み会を誰も企画しないから自分がやる。
  • 旅行の計画を誰も立てないから自分がやる。

 

めんどくさいけど、誰かがやるとみんな得するってことあるじゃないですか。
「じゃあ仕方ない、自分がやるか」とそんな感じで生きてきました。


そこからですね、社会というものを考えるようになったときにも、誰もやらないだろうから自分がやらなきゃ、ってなったんですね。

 

そこから、国際協力にしろ、地域おこしにしろ、ボランティアにしろ、社会貢献意識のようなものができていったんだと思います。

 

でもまあ、そういうのって、大学時代に通じて、同じようなことを考えている人にはたくさん出会った。ああ自分はこれじゃなくてもいいなって思ったんです。

 

じゃあ何をするんだい?と自分が進んでいく方向はよくわからなくなった所はありますが、自分のためだけだと満足できない性分なんでしょう。気が向いたときに人の役に立ってないと自分が満足できないのでしょう。

 

あくまで自分視点なので、大した貢献意識ではないのですけど。

 

自分に関していえば、そんなことです。

 

また書きます。
ではでは

 

 

ひたすら近況でも書くか

こんにちは。

一週間休暇をいただいていました。

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休みの間の過ごし方

一泊二日で家族と旅行に行って、ダラダラした。一泊二日で一人旅をして、ダラダラして、今に至ります。明日からは交際相手氏と一泊二日で旅行をしてきます。そして、月曜から世間に復帰します。

 

この半年くらいはずっと走り続けてきた感覚があって、自分を見つめ直す良い機会になりました。見つめ直したところで、何か発見も進展特にはないですが。そういう時間があるということだけで、少しずつまた生活の仕方が変わってくるんじゃないですかね。

 

ということで、最近の僕について書いておきますかね。

 

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ニュースを見なくなりました

日中はだいたい仕事に追われていて、本当に見なくなりました。テレビも新聞もあまり見ないです。情報源がTwitterになりました。気になれば元のニュースも閲覧する感じですね。

 

こんなんで今後やっていけるのか、少し心配になります。というのは、Twitterしか見ないのは、情報源が偏る可能性があるからですね。

 

そんなTwitterですが、最近フォローを増やしています。半年くらい前は500くらいだったんですが、1000を目標に、リツイートで回ってきた人やその人からの派生とかで、少しずつ増やしてきました。

 

今、950くらいまできて、常にどこかで罵詈雑言が飛んでいます。

それぞれの人に会話のスタイルはあるとは思うのですが、これだけは言いたいのは、断片的な情報で感情的な判断をする人は怖いなと感じます。

 

特に政治的なニュースについて、一次情報を確認せずに、断片的な情報だけで、考え方が違う人に対して人格否定をする人を見ると恐怖を覚えますね。

 

自分も感情的な反応をしないことはないけれど、その、世の中で起きている出来事って、そんなに単純に動いてないし、何らか背景もあるだろうのに、ってこう色々事情を考えてしまうんですね。

 

あとは政治家っていうのは金に汚くなってしまう傾向にあるけど、そこにはそうなってしまう構造もあるだろうし、「政治家=悪」みたいな見方をするのってどうしても違和感があるんですよね。

 

世の中のいろいろな面倒な意思決定や調整ごとを、代理でやってくれているだろうし。じゃあ何で良し悪しを判断するのか、っていう基準は僕にはないので、つくった方がいいんだろうなあ。

 

というまあ、Twtterではそういう騒音はありますけど、有益な情報もあるので、適度に(これが難しいだけど)扱えればと思います。それに新聞もテレビもたまには見ます。

 

世の中の流れを理解するのには使えています。なので、反省としては、もうちょっと自分で考えたりだとか、深めたい情報は、本を読んだり、イベントに参加したりして、情報の多様性と深さを大事にしたいですね。

 

SNSにも投稿しなくなった

正確にはTwitterしかしなくなったという感じですかね。FacebookInstagramもそうですけど、出てきてた頃は、それまで触れられたなかった情報が手に入れられました。なので、毎日開いてみてきたわけです。

 

ところがまあ、最近、他人の動向に興味がなくなってきた。というと、ひどいやつだな。その別にもう、毎日見るほどじゃないな、という感じ。もともとそんなに社交的な性格でもないので、それほど積極的に活動してきたわけでもないです。

 

といっても、何もしないのはもったいないので、たまにはひょっこり顔を出した方がいいんだろうな。

 

こういうのはやりたい事や興味のあることを投稿しているからこそ、できてくる連鎖や反応があるのだろうし。

 

じゃあ、何に興味があるのかって言われると、何なんだろうな笑

 

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・筋トレとかそういうの

今関心があるのはですね、健康的で体力のある肉体を作ることだな。基本的に仕事を中心に生活が回っているのもあるし、プライベートにも十分な時間を当てるには体力が必要なんですね。

 

僕は刺激や疲労でお腹いっぱいになりやすい体質です。おそらく体力は人の6〜7割くらいしかないと思います。なので、何をやるにしても体力があるかないかが一番の判断材料になります。

 

歳をとるごとに、これはきつくなるでしょう。20代の今でさえ、己の軟弱さが情けないです。という課題意識があるわけですよ。筋肉隆々とはいかずとも、少しは耐性のある身体をつくって行きたいなあってところです。

 

・ということで

むやみやたらと長い記事になりました。

なんでしょうね、たぶん、適度に自分をアップデートしたりだとか、情報を整理したりだとか、そういうものに時間を充てて、自分を少しずつ改善していかんとなって感じですかね。

 

親にお風呂に入れと言われたので、今回はこの辺で

最近どうでしょう

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このところ忙しくて、ブログ全然書いてなかった。2ヶ月空いた。なんだかんだ毎月は書いていたのに。

 

そういうこともあって、文章をどう書いていたのかすらよくわからない。

 

文章を書くことから離れていても、やっぱり文章を書くのが好きだなぁってのは変わらない。

 

書きたいことはたくさんある。あるんだけど、なかなか時間がない。正確に言えば、時間はあるけれど書こうとする気力がなかった。

 

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とにかく今年は忙しい日々を過ごした。少しでも時間に隙間があれば働いた。仕事と遊びの境界があいまいなところがあり、ついつい打ち込んでしまうことも。

 

そうさせてしまうくらいには、今の仕事は合っていると思う。それまでは自分のやっていることは歯車の一部で、それなりに回るように稼働いればいいかなというモチベーションだった。

 

だって、評価されないんだもの。やって当然、ミスすれば叱られ、新しいことに取り組んでも徒労にしかならない。

 

ただただ批判される環境から、貢献するとしっかりといい反応が返ってくる環境になった。

 

自信がついた。

 

これが大きい。自分に対して疑心暗鬼な環境で生き続けてきたから、自分の考えに自信が持てなかった。 

 

そういう意味では、自分の置くべき場所をうまく選ぶのが下手くそだったんだな。

 

というところかな。悩殺から、少し余裕が出て、いろいろ、見えるようになってきた。

 

今日はこのへんで

 

 

 

 

16回目のノルウェイの森

何回も見ている作品。

 

どんな時代にも、どの世代にもそういう作品は存在すると思う。

 

僕にとってはノルウェイの森がそれ。ほかにはガンダムSEEDシリーズや涼宮ハルヒの憂鬱などがある。

 

自分にとっての何らかのスタンダード、軸になる作品というのは定期的に見ることによって、自分の変化に気づく。

 

感動する場面や突き刺さる場面が違う。

 

今回、ノルウェイの森を通算16回目に読んだ。あっこの回数は適当です。それくらい何回も読んでいるということです。

 

面白いもので、作品は全く同じなのに、見え方が違う。前回読んだのも、つい一年前なのに自分が変わってしまっていることに驚く。

 

変化がいいものかどうかはよくわからないけれど、意外と人というのは気づかないうちに変化をしているんだなと思いました。

 

具体的に言えば、時代の雰囲気というのは、変わっていってしまうのだなってことですかね。

 

平成は令和になったし、音楽で言えば、2010年代前半に聞いたセカオワゲスの極み乙女なんかはもはや一時代前な雰囲気を出している作品もある。

 

ついこの間まで生きていた人も病気になったり、死んでしまったりした。時の流れは残酷。

 

それでも自分の生があるうちは一生懸命生きていかねばと思うわけです。

 

と、とりとめのないことを鳥貴族で一人で飲みながら書きました。

 

それでは

民意と政治とビジネス

書いてみたら1800字くらいになりました。

 

 

インプットはじめました。

 

The Economistです。

 

www.economist.com

 

 

2014年くらいにイキって定期購読してみたけど、積読になっただけという苦い思い出のある雑誌。英語なので読んでいるだけでけっこうつらい。

 

グローバリゼーションの終わり。みたいな話だった。

 

ざっくりとした理解としては、

 

1990年〜2010年はグローバリゼーションを広がっていって、特に中国や東南アジアのを中心にしたより安い賃金を利用したサプライチェーンが広がっていた。

 

それでアマゾンやグーグルやらGAFA的な存在が出てきた。

 

しかしヨーロッパではそういった企業への規制の動きがあり、トランプ台頭やブリジットのような自由にやり過ぎたことへの揺り戻し、状況が始まっているみたいな話。

 

特段な不思議な内容ではないのだけど、気づきとしては、トランプ大統領は異常で、強引で、みたいな表面的なワイドショー的な評価があるけど、あれはやっぱりあくまで一面なのかなと思った。

 

何が言いたいかという民意や世界の潮流のようなものがそこにあるんだなと。

やっぱり彼が当選をしているのには自国の経済や雇用を第一にしてほしいと思っている人の支持があるからだろうなあということを改めて気づいた。

 

 

 

それで民意と言えば、日本に戻れば、N国。
とても気になる存在だなと。

選挙期間中、「路上、不倫、カーセックス」というワードを連呼しているのには世の末だなと思った。

 

まあ、とりあえず出たから記念受験的な人なんだろうと思っていた。ネタとしてはおもしろいけどさ。通りはしないでしょうと。

 

しかし当選した。

 

これは考えを改めなければと感じた。

 

その、NHKをクソだと感じているという民意はたしかに存在するし、受信料を払うか払わないとかというのは、法的には義務になっているのだけど、人によっては何としてでも支払いを回避する、というような人は一定数いる。

 

そういう人たちからすれば、支持すべき存在だし、そんなに政治に関心がなく支持政党がない人が投票するのであれば、ちょっと面白そうだし入れてみるかと何となく投票する人がいても不思議ではない。

 

当選したあと党首の彼の発言を聞いたけれども、普通に発言する人だった。なんせ「路上、不倫のあれ」を聞いた後だったのもあるけど。

 

議会での投票をネットの多数決にゆだねるとか言っていて、番組の出演者は唖然としていたけど、個人的にはなんというか、彼自身ユーチューバーをやってるくらいだからそれくらいしても不思議ではないと感じた。むしろ今の日本らしいかも。

 

という民意と政治の話でした。

 

で、政治とビジネスの話をすると、こう働き出してから、これまでのビジネス社会の流れをみていると、ビジネスもけっこう政治に左右されるんだなと。

 

僕が今やっていることは規制緩和で成り立っているし、なんなら最近なら民泊もそうだし、少し前で言えば、むやみやたらに太陽光発電が流行ったのもそう。

 

なんだかんだ言って、政治が変われば世の中はたしかに変わるんだなと思うわけです。

 

法律が変わって、空白地帯にやたらといろんな業者がビジネスを立ち上げていくのを見てきた。 そういう変化をみていて、そういう情報の流れの上流の方へ行かねばならんと思うわけです。つまり早い段階で察知して動ける人間にならんといかんなと感じるのです。

人を同じように動けば、競争が激しいし、苦労も多いだろうから。

要はまあ、自分のいる立場からしっかりと情報収集をしていかねばならんと思っているわけです。

 

さっきのThe Economistの記事でもEV、電気自動車がこれからの車の販売の主流になっていくって書いていた。

 

まったく理解ができないんだけど、シンクタンクとかエラい人が分析した結果だそうです。欧米がそういうビジネスの枠組みを決めたからそういうことらしいです。

 

プラスチックの容器とかもそんな匂いがする。

 

たぶん、大人の事情というか、決めたらビジネスの構造が変わって、新しいビジネスが世界経済を動かしていくんでしょう。

 

投資とか株とかもややこしいけれども、そういう世の中の流れを握っている感じがするので、そちら方面の勉強がしたいね。

 

ビジネスの大まかな仕組みは2014年〜2019年と5年かかってわかるようになったからゆっくりと時間をかければそういう界隈の知識にもついていけるのでないかなと思っています。

 

結論としてはお金が欲しい?

ではでは