田舎に戻って1年が経ちました

 

8年ぶりくらいに田舎に戻ってから1年が経ちました。

 

楽しかったような、もどかしかったような、一年を過ごしました。何なんでしょうね。

 

なんというか、時間の流れがゆったりと穏やかなので落ち着くなぁと思いますし、逆に、もたもたしていて物事を進まないことにイライラしたり、まぁどっちつかずで、気分によりけり。

 

どんなものごと、どんな人間とも同じように、良し悪しがあるライフスタイルを送っているわけであります。

 

まぁいくつか、だらだら、事例というか、都会とは違った雰囲気をそこはかとなく、だらだらと書きますね。

 

たいていの田舎の人々の見た目は、ジャージだったり、ユニクロしまむらでそろえていたり、あるいは黒くて強そうな英語が入った服装をそろえているので(偏見)、

 

ちょっと服装を気にしていれば、「おしゃれだな」と言われていい気分になったり、「シティーボーイやな()」と揶揄されたり、そんな世界に私は住んでいます。

 

そして主要産業は、介護。人気の職業、公務員。

 

高度成長時代を生きてきた高齢者たちのお金を医療や介護などで、巻きあげて、再分配することで、田舎の世界は成り立っています。

 

もちろんそれだけではないですけど、私のような企業で働くサラリーマンは少数派で、なんといいますか、「生産する」という側面が少ないのが地方の現状だなと思います。

 

うまく表現できないんですけど、選択肢が少ないです。地元に積極的に残っている人間は、県庁、市役所、先生、銀行、JA、医者、看護師、これでだいたい分類ができそうです。

 

なんというか、トラックの運ちゃんもいるし、土建屋のお兄さんお姉さんもいるし、アパレルで働くお姉ちゃんもいるし、人それぞれの世界があることはよくわかっています。

 

でも、田舎で生きていくということは、何かを新しく産み出す活動が少なくて、それよりも、何かがなくなったり、失われていったり、人が出て行ったりと、どことなく未来が明るくなさそうな雰囲気が漂ってるなと思うことがあります。

 

熱がない。勢いがない。

 

 それと、関係はあるようでない話なのですが、一時期、いろんな地域活性化的な活動をしていました。

 

そこで、やはり田舎なので、とても、猫の額のような世界ということもあって、ソーシャルな活動をしても、知り合いが知り合いでつながるエコシステムなんです。

 

イベントに行ったとしても、そういうソーシャルに生きていきたい人たちがソーシャルなイベントをお互い企画し合って、参加し合って、よかったね、めでたしめでたし。って感じなんです。

 

どうもそれは、何か違うんじゃないか、と感じてしまいました。

 

それは、ただのコミュニティで、地域活性化、地方創生はお題目、おかんむり。

 

たとえば、僕のお父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃんのようなソーシャルとは無縁な、地方の一般ピーポーには、まったく関わりないんです。地域に生きる人たちとは違うところで、新しい世界が創生されているようなだけな気がしました。

 

それはそれで、救われる人もいるし、意義もいくらかあると思いますので、なんとなく違和感があったとしても、否定するのはおかしいでしょうね。やらないよりやる人たちの方がエロい。間違えた。えらい。

 

でも僕はそこらへんコミュニティに漂う自己満足な雰囲気が好きにはなれませんでした。僕はまた別の形で自分であることを満足をしたいと思ったからです。

 

そうね、たとえば、前衛的アート集団とか作りたいですね。(前衛的アート集団って言いたいだけ)

 

まぁ、

 

だいたいそんな感じで、東京だろうと、外国だろうと、田舎だろうと、どこにいっても、どことなく浮いている、ぐちをでした。

 

そんな感じで、「生きるって何なんだろうな」とよくこの一年はよく考えました。

 

いや、いつものことか。

 

長くなりましたが、それでは