英語を使って仕事してる人間の悩みのようなもの

英語を使って仕事がしたいだ、なんてECCの広告で使い古されたようなキラキラした夢のようなものだったのですが、運命のイタズラか、なんとなく人より英語に対する執着心があったおかげか、今自分はそれを実現してしまっているわけです。

 

うん、ただの自慢がはじまりそうな予感ですな。

 

もちろん、それが趣旨ではなくて、どちらかというと、英語が仕事で使えるということの価値がどんどん下がっていっていることに対する危機感を覚えております。

 

(日本人で)英語が仕事で使える人というのは、別に取り立てて多いとは思いませんが、英語を使える人間は、だいたい英語を使う仕事を選ぶので、だいたいは同じような人間とスタートラインを共有するわけです。それに、英語ができるからといって、特別給料が高いというわけでもありません。

 

雇おうすれば、雇えるくらい英語を使える人間というのは一定数いるわけです。そういう人間たちの中で、どのような付加価値をつけるか、という競争になってしまうわけです。

 

そこが人材として、労働者としての悩みどころなのですが、お金になるスキルを手に入れるか(何なんでしょうか)、サラリーマン・ウーマンの中での競争に勝ち残ってマネージメント層になるか、自分で仕事を作るか、なんていろいろと妄想はしてみます。

 

が、妄想の域は出ません。別にそこにあまり魅力を今のところは感じていないからです。生きるために何かは選ぶんでしょうけど。

 

そういう、ああだこうだ言い訳をしているうちに、この先10年は年収300万〜400万のレンジにいるだろうし、日本の経済のもろもろを考えると20年先もいるかもしれない、という危機感があります。

 

別にそれはそれで生きてはいけるんだろうけど、幸福度は誰かとの比較とかで決まってきたりところがあるので、同年代が出世して悔しいと感じる自分がいる気がするんですよね。

 

だからどうするんだってところはありますけど、しばらくは、何がお金になってかつ価値のあることで、何がお金にならないけど価値のあることなのか、みたいなことを考えたいと思います。

 

まぁ、一つ言えることは、世の中が、自分にとって、いい方向動いているところ、あるいは、自分にとって、面白そうな変化が起きているところに、自分は魅力を感じているのだなと思っています。

 

その何が「いい方向」で、何が「面白そう」なのかということを深掘りしていく必要はあるんですけどね。

 

今日はそんなところです。

それでは