これが最後の旅行なのかもしれない

 

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大学のとき、自分の感じたことをできるだけ言語化しない人がいました。自分の身に起きた出来事にたいしてどんな解釈もしない人でした。

 

僕は自分の感じたことをできるだけ言語化したいタイプなので、彼の言ってることが正直わかりませんでした。感じたことを言葉にすることで、人間として何らかの成長できると考えていたからです。

 

でも、その今回、彼の言ってることにも一理あるなと思った次第です。

 

 

じいちゃんとばあちゃんと父ちゃんと旅行に行きました。

 

近所の人が死んだとか、親戚の人の病状とか、知り合いの噂話という、まぁよくある田舎あるある的な話題のテンプレート。風呂に入って、酒を飲み、夕食を取ながら酒を飲み、また風呂に入って寝る。

よくある旅行の風景ですけど、
印象的なシーンがありました。 

 
お風呂に入ったときに、

 

八十代後半の祖父と、

五十代後半の父と、

二十代後半の僕が、

 

(具体的な年齢を書かないのは黒魔術を避けるため)、一緒でした。

 
湯舟に使っているとき、特に何も話さないんですね。

もう、一緒に旅行するのは、これが最後かもしれないし、まあ、そうでないかもしれないんですけど、それなりの覚悟をもって、この旅行に来ているはずなんですけど、特に何も話しませんでした。

「あったまる(温まる)な」
「そろそろ上がるわ」

話したのは、この二言だけでした。

この、特に何も語るわけでもなく、温泉が湧いてくる音と他のカスタマーの体を洗う音しかない空間がなんとも印象的なのでした。

その、このシーンについて、何と言っていいのかよくわからないんですね。

でも下手に意味や解釈を与えないでおいた方がような気がして、もやもやしていたときに、大学のときの言語化しない彼を思い出したんですね。

うん。

ぼんやりとした話ですが、思い出はプライスレスなんでしょう。

 

テキトーにまとめすぎたな。

今日はこのへんで
それでは