結婚をしたいと思うようになった

  

「結婚をしたいと思うようになった」

 

結婚はしたいと思うようになった
結婚はしてもいいと思うようになった
結婚をしてもいいと思うようになった

 

と少し変えるだけで、微妙に漂う、意志と積極性が変わってきます。

 

「結婚は」という所からはじめると、どこか結婚を他人事のように感じられるところがあるし、「してもいい」という言い回しは、どこか仕方なしにというか、上から目線のように感じられるところがある。

 

なので、私が、「結婚をしたいと思うようになった」というのは、結婚さんをリスペクトしていて、とても積極性があって、意志を持った言葉だと思います。

 

不思議なもので、
学生の頃には、


「結婚なんて、自分の自由を奪われるものだ。子育てに時間をとられる人生なんてナンセンスだ」

 

そんな考え方をしていた人間が結婚をしたいと言い出すなんて。

 

人生というのはよく分からない。
時の流れというのは恐ろしい。

 

なんでしょうね、底知れぬ意志のような、覚悟のようなものに結びつけられたように感じられる時もあります。まぁ感覚的な話なんですけども。


それまでは、「結婚をした方がいい」「結婚をするべきではないだろうか」などという義務感、焦燥感、周りからの期待に突き動かされていた部分はいくらかあっただろうし、

得てして、そういうどこか自分の意志が中途半端な時は、何かがうまくいかない。自分を取り巻く何かが事を運ぶのを阻止しているように感じます。自分自身もどこかうまくいかないように無意識に行動しているように思える時もあります。

まあ、よくわからんですがね。



なぜ、結婚をしたいと思うようになったのか。

何かきっかけがあったとか、論理的でストーリー性のある話ではないのですが、いろいろあって、そう思うようになりました。

 

それは、たとえば、

サラリーを定期的に受け取るという生き方(いわゆるサラリーマンです)のだいたいのパターンがわかってきて、その為に身を粉にしたり、全身全霊を捧げることに違和感を感じたこと。

今こうして書いているように、自分の感じたことや自分の中にある感覚のようなものを(主に文章で)表現することが自分の一番やりたいことだと自覚したこと。

うん。これらはたとえとしてわかりにくいな。


うーん、そうですね、

自分のじいちゃんとばあちゃんがもうすぐ死ぬんだと感じたこと。
自分の父ちゃんと母ちゃんもだんだんと年をとっていくと実感したこと。
赤ん坊、幼児、児童の放つ生命力のようなものにとても惹かれるようになったこと。
ぐどいですね。子どもっていいなって思ったんです。

あとは、
結婚はいいぞっていう人もいれば、
結婚は人生の墓場っていう人もいたり、

その結婚という未知の世界に、まったくの新しさに面白みを感じってところですかね。


いろいろと理屈をこねてみましたけど、
うーん、やっぱり交際相手も要因ですかね。

いっしょに生きていくことを考えたときに、面白そうだと思ったし、

結婚的なめんどくささも、「この人と一緒にいて起きることだったら、仕方ないでしょう」と妙に覚悟というか、腹の括りのようなものを感じたんですね。


まあ、来週には交際関係が破綻している可能性もゼロではないんですけどね。

どうなるかわかないけれども、この人やっていけなかったら、もうどうしようもないんだろうなって感じですかね。


そういう上記のですね、いろんな要因からですね、結婚をしたいなという気持ちがしっかりと湧いてきたわけです。


そんなかんじです。
今日はこのへんで
それでは