8月というと、たのしい夏的なイメージももちろんあるのですが、
どうしても戦争についての話題が出てくるので、
それについて考えてしまいます。
この前、祖父母と晩御飯をたべていました。
それでちょうどニュースで特攻隊の特集をしていました。
それで祖父が、
「昔は特攻隊っていうのがあってな、この人ら死ぬために飛行機に乗ってたんや」
という話をはじめました。
うん、僕も知ってるんだな、もちろん。
その時に、そういう戦地の現場レベルで起きた出来事については、
そんなに知識レベルが変わらないような気がしてきました。
祖父母はまだ73年前は小学生だったわけですし、
日本軍がどこまで戦線を拡大して、
どんなことをしていたか。
彼・彼女たちは地元にいて、
ラジオから得られる大本営のかたよった情報しか接していなかっただろうし、
よほど関心があって戦後に調べないと、
戦地で起きた出来事は知らないのかもしれない。
そういうふうに感じました。
もちろん実体験として、
戦前を生きていたわけです。
校庭がイモ畑になったりとか、
防空壕に入ったりとか、
そういう経験はあるわけです。
別に良いとかわるいとかではなくて、
正解があるかどうかでもなくて、
ただ僕らが戦争ということばを聞いたときにイメージするものを、
人が死んでいく悲惨さや生々しさのようなものを、
今の高齢者は必ず経験したわけではないという事実に気づいたわけです。
今日はそんなところです。
それでは