これから30代を迎えていくにあたって、労働者として生きていく上で、ぼんやりと考えることがあります。
AIだの、SaaSだの、Maasだの、いろいろ労働を取り巻く諸条件は、もちろんあるのですが、(まぁ勉強不足です)
40歳になった時に労働者としてやっていけるのか?
どうなんだ、わしは?と。
その頃になれば、体力は落ちるし、認知能力も落ちるし、流行りやテクノロジーについていくのは大変だし。
特にスキルもなければ、資格もない。どうしたものか、と。
今のなんとなくの考えを言います。それは今まで、40代の労働者の方々を見てきて感じたことでもあります。
その、広義の営業というか、広義の起業というか、そういう新しい仕事を呼び込むための力が必要なのかなと。別に実際に起業するわけではなくて。
それはたぶん、仕事の仕組み化したり整理する能力で、仕事の構造を変える能力で、それらをするために人との調整をする能力だと思います。
あとはそこに、意思決定、判断力、責任を取る覚悟が加わるかと。
そういう抽象的な能力を鍛えながら、自分がやろうすることを他者に説明しながら、何らかの形で評価してもらう必要があるのかなと思います。
そういうふうに感じる理由としては、今ある仕事をベースに局所最適をする人があまりに多くてびっくりするから。
状況や環境を前提として、それを変化させようとする人があまりに少なくてびっくりするから。
とまぁ、エラそうなことを言いました。
そういう言う自分は、なんとなく今ある目の前の仕事に追われて仕事をしています。
それに僕は何にも結果を出していないので、でまかせおじさんなわけですが。
今、結果を出していかんといけない所にいるので、必死のパッチで、なんとかせんとなというところです。
以上のような、そういう諸々の能力を総合した感性、感覚、嗅覚が、年取っても労働者としてやっていける何かとではないか、と私は仮説として持っております。
それが何かは今はわからんのだけど。
ではでは