なぜ近代というものに惹かれるんだろうねぇ

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僕はだいたいこういう、近代建築が好きなんです。

 

はじめて小学校で、明治維新を習ったときに、それまでとは全く違う時代になってしまったんだなと衝撃を受けたことを覚えています。

 

文明開花とか、ざんぎり頭がどうのこうのとか、牛鍋をはじめて食べたとか、大日本帝国憲法とか、そういうものを習いました。

 

それまでの日本の歴史の中に、西欧由来のものを無理やり流し込んで、新しいカタチを模索しているかんじに惹かれるですねぇ。

 

それと、その、明治以降の話でも、時代は飛んで、

 

第二次世界大戦の話とか、地元では戦時中はこんな暮らしをしていたとか、戦後白黒テレビが普及して、じいちゃんは大阪万博を実際に見に行ってとか、そういういわゆる「近代」の歴史に、悪い点も含めて、どうも関心がある自分がいるのでした。

 

なんでかははっきりとは、わからないんです。

 

言えることは、リアリティがあること。今自分の生活に繋がってると感じられること。資料が他の時代に比べてがたくさんあること。それによって人間が多面的だと知れること。

 

話を広げすぎるとあれなので、近代建築に話を戻して言うならば、

 

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その建物が今まで残っているストーリーがあって、そこに当時の人たちのエゴ・野心・夢・希望のようなものがあって、建物を残しておこうと思う人々の想いがあって、そして絶対的な時の流れがある。

 

そういういわゆるロマンに、いわゆるエモを私は感じずにはいられないのでしょう。

 

そしてそのロマンの数が時代を経るごとに、老朽化やら都市開発やらの大人の事情で、減っていくんだろうなって考えると、自分の世代で失ってはならないという使命感にも駆られるんですねぇ。

 

ちょっと熱が入りすぎましたが、いろんな言い換えをして、語りましたけど、今回考えた結果、近代には、日常が、手垢のある生活感が、一人ひとりの暮らしが、感じられるから好きなのでしょう。

 

その結論だと、意外と現代であっても、生活感が感じられる資料(写真、動画)でも刺さる可能性がありますねぇ。

 

今日はこのへんで

ではまた