ベンチャーかじってます


どうも。

最近ですが、

ベンチャーしてます。
外国人向けのツアーをつくっています。

otomo-travel.com


転職してません。
お手伝いしてます。
インターンに近いんですかね。


最近提案したのは、
とあるアニメの聖地巡礼で、
うまくいけば採用されることになるでしょう。


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完全に自分の趣味を押し付けました笑


なんでしょう、大型のツアーではなくて、
日本にすでに来たことある人向けの、
マニアックな旅を提案するって感じですかね。


個人旅行向けへのツアーですね。


今は関東を中心に展開をしていて、
後々に、関西にも展開するらしいです。
たぶんガイドもやることになるかもです。


おそらく僕の仕事量は、
全体の1%にも満たないのですが、
なにか活動しているという満足感がありますね。


東京のベンチャー企業
地方でリモートワーク、
ある意味、副業をしていて、
slackなるナウいアプリでコミュニケーション。


うん、今を生きているっぽい。


国際で、旅行で、地域おこしで、
わしのためにあるようなもので、

その手があったか!
とはじめて話を聞いたときは思いました。


その、
大学のときに起業の真似事をしてから、

「ああ、人生のどこかでわしはまたベンチャーに関わるだろうな」とは、心のどこかでは思っていました。


思っていたよりも早かったけれども。
まあ、たいしたことはしてないんですけども。

なんというか、僕は自分でなにかを立ち上げることはないんですけども、どういうわけか巻き込まれてしまうんですね。



うんまあ、そういうかんじで、
活動的な毎日を過ごしています。

ではでは

コミュ症終息宣言(たぶん)

おはようございます。

また、ごぶさたになってしまいました。

もっとたくさん、どうでもよいことをつらつらと書いて、みなさんとの交流をはかりたいと思っております。

いや、うん、交流というよりは、僕が一方的に語りかけてる。
そうだな、たぶん、テレビに近いかねえ。
それかプレゼンか、落語か。

まあ、いずれにしても、たまーに会った人に、なんとなく近況を知っておいてもらえるのはいいなと思うわけです。


はい。

友達の結婚式にいってきました。

友達が多いとは言えない僕にとって、結婚式に呼ばれることは大変名誉のあることです。

はい。


結婚式がいかに素晴らしかったということについては、言うまでもないことです。
僕がここで話したいことは、僕自身ことです。

出た自己顕示欲。

 

 

さて、

本日を持ちまして、
ここに、
「コミュ症終息宣言」をいたしたい次第でございます。

成長しました笑


その、結婚式の二次会で、知り合いがいなかったのです。
いわゆる初対面というやつです。

今まで、そういう場面に遭遇すると、ひとりぼっちで会場のすみで、ぽつんいるタイプでした。気をつかってもらって話しかけてもらっても、うまく受け答えができませんでした。

もちろん、友達のともだちが集まっている、お酒に酔っている、という条件がよかったこともありましたが、けっこう自然と話せたんですね。


別にそんなたいした話ではないのですが、
二十代の後半にもなって恥ずかしい話でもあるのですが、

人と話すことに自信を持てるようになりました。


その、今までは、気心がしれない人話すのがこわかったんですね。

僕は、学生時代から、社会人になっても、
基本的に、常識が欠如しているところがありました。

なので人と話すだけで、
自然と失礼なことをしているかもしれない、
という不安がありました。

自分は常にマイナスからのスタートだと。

もう社会人も5年目なのですが、
やっとこさ、ある程度、
常識的なふるまいをできるようになりました。

そういうのもあって、
話し方にぎこちなさが減ってきました。

まあ、たぶんね。

うん。
そんなところです。

それでは


シンガポールにきた


どうもです。 

シンガポールに来ました。

 

初めての海外旅行はこの地でした。
やはり、なにをするしても初めてというのは、特別でして記憶に残っているわけです。

 

その時は学校行事としてやってきました。2008年の3月でした。

 

緑茶に砂糖が入っていることに衝撃を受けたこと、
上海やきそば、なる物の存在を知ったこと、

同級生と好きな女の子について話したこと、

 

いろいろとありありと思い出します。

 

心残りなのが、がちがち管理体制だったことです。

常に通訳がついていました。それで英語を話す機会は一度もありませんてした。何のために海外に来たのか、とがっかり記憶があります。


その後、2013年にシンガポールが来ているらしいという情報もあって、意識高い学生だったので、行動しなきゃ行動しなきゃという勢いでやってきました。

 

その時にチャイナタウンで食べた謎の四川料理は今でも忘れません。食べた瞬間はそこまで辛くなかったのだけど、そのあと一晩中、口の中の辛さで苦しむくらいには辛かったです。辛かったです。

 

「からい」と「つらい」は、同じ「辛い」と書くわけです。

 

ええ。

 

 

がちがちの管理体制であっても、外国というのは高校生の私には十分すぎるくらい刺激的なものでした。外国という異質なものに、得体の知れないものに、もっと触れてみたいと感じていました。

 

今日はこのへんで

その男、ヨヶ澤ヨガ男


ヨガなるものをはじめました。フットサルに次いでキラキラOLの代名詞のような余暇の過ごし方であります。
 
ただ、一つ言えることは、
良いものは良い!
 
やっぱりそれなりの人気を得られるものというのは、それだけ理由があるということです。そうなんです。うん、当たり前のことしか言ってないですね。
 
まだ体験レッスンに一度行っただけです。ヨガインストラクターの女性と育休中のママと、頭髪が気になりだした20代男性(僕)の三人で黙々と体を動かしました。
 
なにが良いかって、日常のもろもろと忘れられることですね。もうこの所は、気がつけばスマホを取りだして、ツイッターを開いてます。
  
そして、「来週海外出張するンゴ」なんてどうでもよいことを世間に報告しているわけです。
 
家に帰っても、ベットの上でだらだらネットの野球版を見ているだけ、もしくは、野球のゲームをしているだけ、そんな毎日が続いているわけです。
 
ヨガがすべてを解決するわけではないのですけど、平日の過ごし方に一石を投じたという意味で大きな変化です。
 
おおげさに言えば、新しい世界へ一歩を踏みだしたというところではないでしょうか。
 
冒頭でも、キラキラOLと揶揄、小馬鹿にするような言いまわしをしてしまいました。たぶん、僕が人から斜に構えていると言われていた理由がこの辺にあるのだと思います。
 
でも、たぶん、今こうして実際に興味をもってやっているところをみると、僕は何か文句をつけたくなるものというのは、心のどこかでやってみたいと思っているのかもしれません。
 
今は新しいことをはじめることに抵抗はずいぶん少なくなりましたが、大学生の時分は、なにをするにしても保守的で、何かと文句をつける人間だったのかと不思議でなりません。
 
人は変わろうてすれば変わるものですね。まぁ、なかなか少しずつではあったのですが。
 
ちょっと今日は長めに書きました。
飛行機に乗っていて暇なのです。
 
それでは
 
 
 

8月はいつも戦争について考えさせられる


8月というと、たのしい夏的なイメージももちろんあるのですが、
どうしても戦争についての話題が出てくるので、
それについて考えてしまいます。

この前、祖父母と晩御飯をたべていました。
それでちょうどニュースで特攻隊の特集をしていました。

それで祖父が、

「昔は特攻隊っていうのがあってな、この人ら死ぬために飛行機に乗ってたんや」

という話をはじめました。

うん、僕も知ってるんだな、もちろん。

その時に、そういう戦地の現場レベルで起きた出来事については、
そんなに知識レベルが変わらないような気がしてきました。

祖父母はまだ73年前は小学生だったわけですし、
日本軍がどこまで戦線を拡大して、
どんなことをしていたか。

彼・彼女たちは地元にいて、
ラジオから得られる大本営のかたよった情報しか接していなかっただろうし、

よほど関心があって戦後に調べないと、
戦地で起きた出来事は知らないのかもしれない。

そういうふうに感じました。



もちろん実体験として、
戦前を生きていたわけです。

校庭がイモ畑になったりとか、
防空壕に入ったりとか、
そういう経験はあるわけです。


別に良いとかわるいとかではなくて、
正解があるかどうかでもなくて、

ただ僕らが戦争ということばを聞いたときにイメージするものを、
人が死んでいく悲惨さや生々しさのようなものを、
今の高齢者は必ず経験したわけではないという事実に気づいたわけです。


今日はそんなところです。

それでは

慣れるということ

 

実家に帰ってから1年半が経ちました。

 

就職してからというもの、毎年のように住む場所を変えていました。

 

だいたい一年くらいすると、住んでいる街や生活の流れのようなものに慣れてきます。

 

言葉にするとたいしたことはないのですが、慣れるということに、人類の神秘のようなものを感じることがあります笑

 

そこまでおおげさに言うのには理由がありまして、それまで何もかも上手くいかなかったことが、なぜか急に上手くいくようになるんですね。

 

例えば、今年の僕の場合、お客さんや会社の人とのコミュニケーションがまったく取れなくて、自分はなんてダメダメな人間だろう思っていました。

 

この一年くらいどう話しても、妙な間ができたり、不思議な雰囲気になっていました。

 

 

おそらく相手の考え方や会話の間とかがわからず空回りしていたのでしょう。それと自分のやり方に自信が持てなかったこともあります。

 

ところが最近になって、そういううまくいかない原因を、理屈だけではなくて、自分の感覚的に理解して行動できるようになりました。

 

この「感覚的に理解する」というのがたぶん、慣れるということなのでしょう。

 

こういうのは、意識的にできることではないと思います。時間をかけて待っているとなぜかできるようになるのだと思います。

 

もう僕はこれをここ4年で4回もやっているのだから、間違いないという自信はあります。

 

あとですね、慣れてきた副作用というか、おかげというか、あまり疲れなくなりました。

 

これから意欲的に、行動的になれるような気がします。

 

それでは

平成の終わりは昭和の終わり

 

たまーにしか書かないこのブログをきっちりとよんでくれている人がいると思うと、すごいことだなと。

 

ありがたい。

 

このごろよく考えるのは、平成とはなんだっただろうか、という疑問です。


ここ30年はなんだったのか。

 

正直、自分が生まれ育った環境であるので、あまり客観的にみにくいところはあります。

 

ですけど、なんとなく時代の空気感が子どものころとは違ってきているな、という実感はあります。

 

その空気感について来れていない人たちもいるのですが、そういう人でもけっこうな立場や地位を築いている場合があります。

 

しかしながら、立場や地位を濫用しすぎるのはさすがに問題だということがこのところ散見されます。

 

平成に区切りをつけるために昭和的なものを破壊しているようにみえます。

 

価値観を昭和的と平成的に対立させてまとめるとこんな感じでしょうか?


・昭和的
体育会的(全体主義的)
年功序列
男尊女卑的
権力優先的


・平成的
文化部的(個人主義的)
実力主義
男女平等的
法令遵守


といったような形で、昭和的な価値観はうすまり、平成的なものがだんたんと強くなっていくんだろうなとかんじます。

 

それでもやっぱり、平成の終わりまで昭和を引きずってきた感じがします。やっと、昭和的な価値観が成仏する準備が整ったというべきか。

 

正しいかどうかというよりも、男なのか女なのか、上なのか下なのか、力があるのかないのか、というところが昭和的な判断基準な気がします。


あと、都市部と地方では、そういう平成的な価値観への移行は、10年〜20年くらいのずれを感じます。

 

パッと思いついたことをサッと書いてみました。

 

それでは