鉄は熱いうちに打て。
と人々はいう。
たぶん、旅行の感想のブログも早く書いた方がいい。
そんなことはわかってるけど、
旅から帰ったあとは、疲れてるから寝たい。
寝ても、疲れが残っているから、また明日にしよう。
その明日も疲れが残っていて、また次の日にしようと思う。
そのあと、どうなるかは賢明の読者の方ならわかるはずだ。
そうやって、いくつもの旅の記憶が失われていった。
そういうわけだ。
しかし、今回の私は気力があった。えらい。
五島列島に行った。
訪れる前は、地域おこしで聞いたことがあった。移住者が増えてたりして、なんだかイケてる離島らしい、と。そのくらいのイメージだった。
訪れた後は、もう何も言えなくなってしまった。
その旅から受け取ったものが多すぎて、選ぶ言葉がない。
もちろん、どの旅でもひとことで言い表すのは難しい。
「三連休どこのいったの?」
「五島列島」
「どこ?」
「長崎。今年、世界遺産になったんだ」
「ふーん。なにがあるの?」
「隠れキリシタンの教会」
「ふーん」
以上を持って、会話が終了する。
はっきり言って、魅力的な旅行とは言いがたい。
金曜の仕事終わりに新幹線に乗って、博多に行く。24時発のフェリーに乗る。
土曜の朝、4時に島に放り出される。
日曜の朝、5時に次の島へのフェリーに乗る。
月曜は、10時間かけて家に帰る。
はっきり言って、異常だ。
それでも、その異常さという引き換えに、
特別な経験もできた。
よくある旅の文句を並べれば、
流れている時間が違い、
人々の雰囲気が違う。
その地方の文化があり、
その地方の習慣がある。
要するにそういうことだ。
一つ具体的な話をするとすれば、
熱意をかんじた。
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」というやつだ。
詳しくは、ウィキペディアでも見てもらえばいい。
その、今回、五島列島を訪れる中で、
まちを上げて、世界遺産になるために努力をしてきた人たちがいた。
その中で、とある教会のボランティア説明員のじいさまがいた。
活動意欲のあるじいさまだから、なんといっても話が長い。
教会の歴史やら、世界遺産になるまでの経緯やらを説明してくれた。
まあ、個人にもよるが、だいたい5分あれば満足すると僕は思っていた。
ところが、10分経っても、20分経っても、説明は終わりそうになかった。
時間が過ぎるにつれ、いっしょに聞いていたクリスチャンのお姉さんたちや旅行好きの夫婦も、なんとなくその場を離れていった。
30分経ったとき、僕と交際相手しか、じいさまの話を聞いていなかった。
そして、交際相手は、油を注ぐように、どんどん質問をしていた。
これは、まずい。
もはや、じいさまと彼女で、世界が築かれていた。
最終的には、1時間くらい、二人は話し込んでいた。
まあ、これは一例だけど、
今回は、たくさん、
熱意をもって生きている人に出会ったし、
熱意があって作られた教会を見た。
うまく言えないけど、
そういう人には確かに、
そういう場所には確かに、
雰囲気や気配のようなものを感じた。
あやしくなってきましたね。
俗に言えば、元気をもらった的な感じだろうし、
ちょっと怪しげな言い方をすれば、
パワースポット的な、スピリチュアルな感じだろう。
もう少しいえば、
教会のじいさまからにじみ出てる善良さには魅力を感じたし、
教会の建物からにじみ出てる高貴な厳粛さには身が引き締まった。
うまくは言えないけど、
その場に行かないとわからない特別さがそこにはあった。
何か信じるもののために生きている人は強いなと思った。
この受け取った熱意のような何かは一生残るだろうなと思った。
長くなりましたが、以上です。