こんにちは。
紀伊半島の話です。
今日は、どこからどこまでが紀伊半島でしょうか、というやつではないです。
僕自身が、旅の中で感じたもろもろについてです。
10月のある日、男8人、ハイエースと原付で出かけました。
とてもインスタ映えとは、遠いところにあります。
もちろん、熊野古道的な、観光地的な場所もまわりました。
さて、ここまではふつうの人もお分かりいただけるかと思います。
ここからは、あまりに人に理解されにくい領域に入ります。閲覧注意とは言いませんが、オタク的、マニア的、頭大丈夫でしょうか、というものです。
少々、話が長くなりますがお付き合いくださいませ。
カロリーが高いと感じた方は、そっと閉じて、LINE返信へ。
はい。
僕は、社会人になってからですかね、明治から昭和の文化に興味を持つようになりました。
特に、その当時の生活が感じられるものを目の当たりにすると、喜びを覚えるようになりました。
例えば、このエアコンの室外機。
今は、ホンハイ傘下、SHARP製のエアコンの室外機。
「シャープ」とカタカナで書いてある。
それに加えて、古すぎる字体、フォントが逆に新鮮味を与えます。
そして、時代の長さを感じるサビ具合。
これが、たまらないんですよ。
ん?
何言ってるかわかんない?
キモい?
お前をそんなふうに育てた覚えはない?
ええ。自分でもちょっとヤバイな、と思います。
たぶん、「田舎×文化」に憧れがあります。僕自身は田舎の人間ですが、田んぼを埋めてた住宅街の育ちです。
商店街もないし、神社やお寺もない。近所づきあいもない。あるのは、鉄棒とシーソーと砂場を取ってつけただけの公園。
スーパーはあるので、生活には困らないけど、どこか殺風景。
都会には遠く及ばないし、田舎と呼ぶには中途半端。
だからこそ、田舎らしさがある街、町、村には魅力を感じます。
惹かれるものの共通点を挙げてみます。
過去の栄光、朽ちていく人の営み、帰らない時代のノスタルジー。
そういうものに魅力を感じます。
というのは、僕らは2010年代を生きているわけです。
その一方で、スマホもパソコンも使わない。もっぱらメディアはテレビと新聞。海外旅行をしない。それどころか、自分の街からすら出たことがない。
そういう街や人がまだ存在しています。そこで人が、それぞれの人生を、生きている。
その生活感や人の営みに感動するのでしょう。
そして、特に、今回の旅でよかったこと。
祭。
三重県は熊野市。
本当に、たまたま、訪れた日に、地元の、地元の人による、地元の人の(以下略)が行われていました。
祭だから酒を飲んでいるのか、酒を飲むために祭をしているのか、よくわからないくらいアルコール臭のする祭でした。
はっきり言って、紀伊半島の端っこ。
にもかかわらず、老若男女がその祭に参加してました。この街では歴史や文化が引き継がれてました。
おそらく、50年後も残るでしょうね。 素晴らしい。
ここは本当に例外でしょう。
じいさんやばあさんだけが住んでいる集落は、10年持てばよくて、あと20年もすればなくなってしまいます。時限性があると思います。
そういう、消えていく日本の風景のようなものが、紀伊半島の魅力なんだろうなと思います。
集落、秘境、過疎地。
紀伊半島問わず、それらに惹かれるのでしょうね。
もう、今しか見られないかもしれないのだから。
そういう風景を少しでも残しておきたいな、という謎の使命感に駆られて、この記事を書きました。
今度はカメラ買って、周っていくかな。
ではでは