ミレニアム世代はなぜ社会貢献意識が強いのかって聞かれたんだが

先日の日経の一面。

 

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 SDGsが話題になっていた。一面だけじゃなくて、何面にもわたって企業の社会貢献意識はどうあるべきか的な話があった。

 

マーケティングをやっている友人から、そういうトレンドがあるとは聞いていたけれど、ここまでこう、世界、社会、地球環境、持続可能な発展に対して企業が何をするかが注目されるようになってきたんだな、とぼんやりと驚いていました。

 

「どうせパフォーマンスなんでしょ?」「それよりも給料あげなさいよ」みたいな穿った見方をしそうな自分がいましたが、CSR的なものかな。企業活動である程度広告費が必要なように、ある程度社会貢献活動も必要なのかと感じた。

 

ざっとしか見ていないのだけど、投資家もただ利益を上げるだけではなくて、そういう社会への貢献意識も含めて投資先を選ぶ傾向があるのとかないのとか。時代も変わってきたんだなということ。

 

マーケティングの友人に、こんなことを聞かれた。

「なんで私たちの世代、ミレニアム世代は社会貢献意識が強いんだと思う?」

 

いろいろ、自分なりの意見を話そうとしたけれど、いまいちしっくりこなかった。世代論というのは、なかなか抽象的な話になってしまう。

 

それで、その時はうまく話ができなかったので、自分に置き換えて考えてみた。

 

私もそれなりに社会貢献意識はあります。世界を変えたい論者であったし、今でも大きな主語はつけなくなったけれど、少しでもこの世の中をよくできたらと思っている。

 

じゃあなんで、そういう風に考えるようになったのか。というと、話は学生の頃に遡る。

 

さてさて、原体験語りがはじまるわけです。

 

おそらくなんですけど、よくいえば使命感、俗にいえばお節介、そういう類の感情から始まっていますね。

 

大した話じゃないです。

  • 学級委員を誰もやりたがらないからやる。
  • 部活のキャプテンを誰もやらないからやる。
  • 飲み会を誰も企画しないから自分がやる。
  • 旅行の計画を誰も立てないから自分がやる。

 

めんどくさいけど、誰かがやるとみんな得するってことあるじゃないですか。
「じゃあ仕方ない、自分がやるか」とそんな感じで生きてきました。


そこからですね、社会というものを考えるようになったときにも、誰もやらないだろうから自分がやらなきゃ、ってなったんですね。

 

そこから、国際協力にしろ、地域おこしにしろ、ボランティアにしろ、社会貢献意識のようなものができていったんだと思います。

 

でもまあ、そういうのって、大学時代に通じて、同じようなことを考えている人にはたくさん出会った。ああ自分はこれじゃなくてもいいなって思ったんです。

 

じゃあ何をするんだい?と自分が進んでいく方向はよくわからなくなった所はありますが、自分のためだけだと満足できない性分なんでしょう。気が向いたときに人の役に立ってないと自分が満足できないのでしょう。

 

あくまで自分視点なので、大した貢献意識ではないのですけど。

 

自分に関していえば、そんなことです。

 

また書きます。
ではでは