33歳になりました

ぬるっと迎えました、誕生日。「あー誕生日なんか、そうよな、誕生日なんよな」って
大学のゼミの同窓会があった事情で、東京のビジネスホテルで歳を重ねた。
今朝起きると、若干酒が残っていて、ぼんやりとした頭。帰るまでの時間をどう過ごそうかなと考える。
とくにやりたいことも思いつかず、割とホテルの近くにあった、赤坂離宮迎賓館へとなんとなく足を運んでいまに至る。
不思議なほど感慨が深まらない。でも、家族や友人などからメッセージをもらって、いくばくか実感らしさが出てくる。
33歳の展望
一ヶ月もすれば子どもが生まれます。そういうのもあって、自分のことの優先度が下がっています、この頃。
この数年で個人主義的な考え方がなくなりました。「一度きりの人生だからー」「死ぬまでに◯◯がやりたい」みたいな
いやその、何も制約がなければありますよ。
一ヶ月くらい旅行行きたいとか、海外に住んでみたいとか、旅系の動画コンテンツじっくり使ってみたいとか、市議会議員やってみたいとか、和歌山で観光の事業やってみたいとか、そういうの。
ただまあどうしてもやりたいわけでもなく、なんとなく機会や近しいイベントがあったらやれたらなって、それくらい。
勝算のない職業選択でリスクを抱えるよりも、家族と幸せな時間を過ごせる生活が圧倒的に大事。自分だけの想いとか大したことない。
というか、家族との暮らしが前提にあって、今いる関西圏で、収入を得る手段を探して、できる限り自己実現の要素が入ってくるといいなという順番かな。
自由意志でやりたい職業選択なんてなくて。
仕事なんて、よくよく考えてみると相対的。自分の内発性と、社会情勢、時代背景、職業適正、労働条件の妥当性などの要素が絡み合って、選択してる。
なんらかの制約の中で、意志決定をしてる。ぜんぜん自由ではない。クリエイティブな仕事をしたい、エンターテイメント性のある仕事をしたい、けど給料や労働条件が割に合わない。
職業選択と内発性(自己表現、やりたいこと)のバランスがうまくいかなくて、自己矛盾が起きる。
言いたいのは、制約を制約であると認識すること、制約に納得して意思決定すること。
自分に関していえば、子育て関連は職業選択上は制約であるけれど、それを前提としてこれからの仕事やプライベートの時間を使い方を決めていく。それを自覚して、納得して、生きていくんだなというかんじ。
家庭、子育てというプロジェクトがあって、自分のリソースをどう使うかという視点で生きていく。その中で自分のやりたい職業選択なんてかなり優先度が下がるなって話ですね。
なんか、同じことをいろんな言い方で言い換えただけな気がするけど、自分の子どもが生まれてきそうな33歳が考えていることでした。
歴代の人類が感じてきた、ごくごく平凡な感想ではあるけれど、言語化させてもらいました。
ではでは