老いていくのがぼんやりと恐いなぁという話

 

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けっこう老いていくことに、怖さがあります。

 

いろんな場面で、40代後半を過ぎたあたりの人たちを見ていると、認知能力や身体機能の低下がどうしようもなく、現れてくるのだなということです。

 

まぁそもそも、先に、30代からの老いというものを迎えるのですが、けっこう、今の延長線上のなにかであるという感覚的な安心感がこちらについてはあります。

 

 

40代後半から50代の老いをみると、完全なるおじさんと化していくのは、まぁそういうものだから仕方ないかなとは思います。

 

僕が特に恐れているのは、自分の経験してきたパターンでしか物事を考えられなくなること。人の話を無自覚的で聞こえなくなったりすること。細かい字が読めなくなること。

 

もちろん、その年代になっても、僕みたいなボンクラよりも、はるかに頭が冴えわたる人たちは存在します。

 

ただ、一般的な傾向として、僕が見聞してきたところでは、脳や身体機能が低下して、確度のある意思決定ができていなくなっている、そんなふうに感じる人が時々いました。

 

別に今の日本社会では、年を取った人の経験則には権限を与えるべきという社会的合意がある程度存在するので、感覚がズレていても、それはそれで物事は進んでいきます。

 

ただ、自分が初老のような年齢に達したときに、しっかりとした認知能力があり、時代的・社会的な流れをくみ取った意思決定をしていけるかどうか、僕はとても不安なんです。

 

今僕が言っていることは、けっこうビミョーなところだと思います。意思決定は誰にだって、うまくいくとは限らないし、失敗することもあります。

 

それが年をとって、認知能力が低下してきていることだったり、感覚がズレてきているからだというのは、とても数値化できるものではないと思います。

 

それはまぁ、自分の中でのちょっとした確信のようなものです。あるいは勝手な僕の思い込みです。

 

以下のような能力が年をとるごとにむずかしくなっていくんじゃないかなという気がするんです。

 

・自分が経験してきたものを客観視する能力

 

・感情的な反応と実際に起きている事実を切り分ける能力、

 

・自分の中の常識と目の前にいる人たちの公約数な常識を切り分ける能力

 

 

こういう能力というのは、お金になるかどうかなんて知らないです。ですけど、社会生活を送る上で、人と関わっていく上で、重要なものだと僕は思っているんです。

 

それらが初老になると、できなくなって経験と感情ばかりで、なんでも語るおじさまになることを僕は恐れています。

 

というまぁ、とりとめのないお話でした。

 

ではでは