草食系男子誕生物語

 

八ヶ岳生とうもろこしを食べた。

生で食べられて、とても甘くておいしいらしい。

 

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実際に食べて、おいしかった。

なんなら感動した。

うまい野菜を食べられるのはいいことだ。

 

いつからか、野菜の品種とか味に興味を持つようになった。

 

いわゆる原体験でいうと、小学1年生まで遡る。はじめての夏休みを迎えた。

 

北海道に行った。家族で。よく覚えていないけど、団体ツアーだった。4泊5日くらいした。

 

大人の事情はよくわからんが、両親はむやみやたらにお土産を購入していた。荷物に入りきらないから後日配送だった。

 

おびただしい量を買ったので、タダでジャガイモが送られてきた。男爵だった。

 

その男爵イモがすごく美味かった。どんな調理をしたかも覚えてないけど、この世の中にはおいしいジャガイモとそこまでおいしくないジャガイモが存在することを知った。

 

野菜を切り口に思い出をたどると結構あった。思っていた以上に自分は野菜に関心があった。

 

小学校5年生のときに調理実習で作った大根の味噌汁とか、イスラエル行ったときに食べたパプリカとか。

 

また機会があったら、野菜についても書きます。

 

そろそろ寝ます。

それでは

40歳問題

これから30代を迎えていくにあたって、労働者として生きていく上で、ぼんやりと考えることがあります。

 

 

AIだの、SaaSだの、Maasだの、いろいろ労働を取り巻く諸条件は、もちろんあるのですが、(まぁ勉強不足です)

 

40歳になった時に労働者としてやっていけるのか?

どうなんだ、わしは?と。

 

その頃になれば、体力は落ちるし、認知能力も落ちるし、流行りやテクノロジーについていくのは大変だし。

 

特にスキルもなければ、資格もない。どうしたものか、と。

 

今のなんとなくの考えを言います。それは今まで、40代の労働者の方々を見てきて感じたことでもあります。

 

 

その、広義の営業というか、広義の起業というか、そういう新しい仕事を呼び込むための力が必要なのかなと。別に実際に起業するわけではなくて。

 

それはたぶん、仕事の仕組み化したり整理する能力で、仕事の構造を変える能力で、それらをするために人との調整をする能力だと思います。

 

あとはそこに、意思決定、判断力、責任を取る覚悟が加わるかと。

 

そういう抽象的な能力を鍛えながら、自分がやろうすることを他者に説明しながら、何らかの形で評価してもらう必要があるのかなと思います。

 

そういうふうに感じる理由としては、今ある仕事をベースに局所最適をする人があまりに多くてびっくりするから。

 

状況や環境を前提として、それを変化させようとする人があまりに少なくてびっくりするから。

 

とまぁ、エラそうなことを言いました。

 

そういう言う自分は、なんとなく今ある目の前の仕事に追われて仕事をしています。

 

それに僕は何にも結果を出していないので、でまかせおじさんなわけですが。

 

今、結果を出していかんといけない所にいるので、必死のパッチで、なんとかせんとなというところです。

 

以上のような、そういう諸々の能力を総合した感性、感覚、嗅覚が、年取っても労働者としてやっていける何かとではないか、と私は仮説として持っております。

 

それが何かは今はわからんのだけど。

 

ではでは

だらだらと思いついたことを話す巻(主に選挙)

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つまらない話をします。

というか、だいたい思いついた順で話します。

 

参院選が終わりましたね。今回についていえば、私は大阪に引っ越してきたばかりで、住民票は別の所にあって、選挙の案内がなくても投票できるかどうかを調べたりとなかなか手間がかかるものでした。

 

投票することに何の意味があるのか、というのはしばしば議論になるところではあります。今回、それについて納得できる話がありました。その、若者が投票に行かないと老人向けの政策ばかりになるみたいな話は何となく今まで納得できなかったのです。

 

そんなに自分の一票が選挙に影響を与える可能性があると説得しようとするのには、やはりいささか無理があるんじゃないかなと思っていたのです。それよりもですね、誰に投票するかを考える過程において自分の政治意識が変わったりだとか、己の普段の不勉強さを実感するだとかそういう所に意義があるという話を知った時に、(まあツイッター何ですけどね)

 

選挙って大事だなと思うわけです。政治についてある程度学んでいた学生としてなかなか恥ずかしいんですが、もう全然、国会とか法案とか、そういう流れについていけないんですね。

それでも、専門的な話はまったく置いておいて、たまーに友人とかと安倍政権についてどう思うとか、政治的な価値観について話すってすごい好きなんですね。

 

人それぞれの世界観が出るというか、世の中に対する見方というのを共有できることが。自分自身の考えの狭さを実感できますし。その、考えが違っても立場が違っても、しっかりと共有し合えると人としての信頼感が増すんですよね。

 

という政治的なお話でした。

 

疲れた。


もう終わりますが、さらっとこれからの希望を言いますと、noteをもっと書けたらなとか思っています。

 

あとは、35歳くらいまでに何らかの労働者としての結果を出さんと生きづらいなと思っています。

 

そんなことについてそのうち書きたいと思います。

今日はこのへんで

 

ではでは

(写真は大阪市中之島あたり)

 

 

 

 

米原発新快速播州赤穂行


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まいばらはつ、しんかいそく、ばんしゅうあこういき

 

と読みます。

 

今、僕が乗っている電車です。この路線は滋賀県にある米原駅から京都、大阪を通って兵庫県に入ります。

 

その後、一体どんなところかはわかりませんが、播州赤穂という所にいきます。

 

取り立てて有名なところではないです。終着駅としてのアナウンス以外で聞いたことがある人は珍しいと思います。

 

さて、なぜ、米原駅から大阪方面に向かっているかというと、和歌山に帰っています。

 

旅をしていました。仕事で。

 

なんとなく説明はツイッターやらフェイスブックでしてますが、旅が仕事になりました。

 

と、言うと、ノマド的ブロガー的フリーランス的な響きがいくらかすると思います。

 

中部地方の調査に行っていました。

 

旅行のプランになりそうなところへ赴いて、地元の人に話を聞いたり、地元の名物を食べたり、インスタ映えしそうな(とあくまで僕が思う)写真を撮ったりしていました。

 

まぁ、一つ言えることは、とにかく疲れた。

 

そして僕は明日から大阪に住みます。明日、引越しをします。明日ですよ、明日。

 

つめつめのこみこみで、人生が目まぐるしいでございます。

 

大阪に住むのは新卒の時以来。当時は、労働というものに順応していくので精一杯でした。仕事をしているか寝ているかでした。

 

それなりに楽しんではいましたが、とにかく必死だったという第一印象が記憶として残っています。

 

何が言いたいかというと、もう少しくだらない場末の居酒屋や、行きつけのバーだったりカフェだったり、そういうのが欲しいです。

 

大人の社交的なライフスタイル的なサムシングを得たいという密かな野望が私にはあります。

 

まぁ、それよりもまぁ、仕事仕事仕事になりそうな予感もしなくもないし、あとはプライベートな決断もぼちぼちしにゃならんとも思うわけで。

 

なんというか、相変わらず、落ち着きのなさには定評がある谷口でした。

 

ではでは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

疲れてますという近況報告

どうも。

 

この前書いたブログ、何が言いたいのか自分でもよくわからなかったです。

まあ、疲れていたんだろうな。

 

こうどうも、疲れていると言語力が低下する人間なのです。

助詞とかがおかしくなるんです。

 

かくいう今も、けっこう疲れています。仕事で。

 

さて、実は、仕事をまた変えました。

 

旅行系です。今もちょうど仕事で旅行をしています。いろんな地域を実際に訪れて、訪日外国人のみなさまにウケるかどうかを現地調査をしています。

 

これがけっこうしんどくて。一日中歩きます。一万歩は軽く超えます。だいたい10キロは最低歩きます。最高で18キロ歩きました。

 

歩くだけではあるのですが、これが地味に体に来るんですな。

人間疲れてくるとどうもダメです。

 

訳のわからない独り言が出たり、心の中で思っていることがそのままポロっと声に出てきたり大変です。

 

他にもいろいろあるのですが、今日はこのへんにしておきます。

しばらくブログを書いてなかったので、どういう風に書いていいのかわからない笑

 

ではでは

 

 

定点観測について

 

 

定点観測というものがある。その言葉をはじめて聞いたのは、とある友人がとある学生交流会を称してそう言った。

 

学生というのは、理想に燃えている一年生がいて、就職活動にあえぐ三年生がいて、というような形で人間は違えども、同じような経路を辿る。サークル活動に燃える者、途上国の現状を憂う者、人間が違えども、同じような問題意識を抱えて生きている。

 

毎回人は違っても、参加する人の質は同じであることから、友人はその場所での景色は常に同じであるから、観測する自分がどう変わったのか、と考えていたのだろう。

 

急にそんなことをなぜ話しはじめたかというと、なかなか定点観測というのは、歳を取ると難しい。

 

自分の変化はもちろんあるだろうけど、一方で周りにいる人間も変わっていくから、どこに観測点を持ってくるかいうのは、よくわからなくなる。不安定だ。

 

ということで、僕は地元の景色に定点を置いていた。数年くらい前まで。しかし、土地の景色というのも、どうやらこれも不変ではないようだと気づいた。

 

田んぼが埋められてパチンコ屋ができてたり、家が取り壊されて駐車場になっていたり、景色が変わってしまうのだ。

 

なので、思った以上にそれぞれの物事というのは流転しているんだなと。諸行無常ってやつだと。

 

そんなことに別にこだわらなくてもいいんだろうけど、僕はどうも、そういうことにこだわってしまうタイプの人間なのだ。自分がどういう風に変化しているのか。

 

 

 

そこでけっこう重要になってくるものがある。

本。

 

僕は「ノルウェイの森」を3ヶ月〜半年に一回くらい読む。それでいつも面白いところ感じるところもあるのだけど、毎回微妙に刺さる箇所が違ったりする。

 

だから何ということもないのだけど、そういう同じものを読んだとしても、自分の感じ方が変わっていることに気づくのだ。

 

定点観測というと、ちょっとわかりにくいのだけど、そういう自分の心理や思考を映す鏡って貴重なものなんだなと、なんとなく思った話でした。

 

ちょっと自分が観測するのか、観測されるのかということがうまく整理されてなくて、ややこしい文章になってしまったが、言いたいことはなんとなくわかってくれるでしょう。(読者に丸投げ)

 

ではでは

 

 

 

 

軽く近況を

もう最後にブログを書いてから、1ヶ月が経とうとしている。

 

あまり、つらつらと書く気力がない。なので簡潔に述べると、私はとても疲れている。

 

精神的にではなく、たいへん体力的に。

 

自分が主体で時間をコントロールしていたいと私は思っている。だけれど、このところは時間が主体で自分がそこについてくるという感じ。

 

気がつけば朝で、ふと我に返ると夜である。また明日に向けて寝ないと、その次の日に支障をきたす。

 

その少し、支障をきたすリスクを取ってこの文章を書いている。

 

まぁ、それだけです。

またお会いしましょう。