なんだかやる気が出ないんだな

どういうわけか。

最近、どうも調子がわるい。

酒を飲んでも、銭湯にいっても、筋トレをしても、全然ダメ。

 

仕事とか予定とかは、決まっているものだから、動けるんだけど、もう家に帰ったらダメです。気力がありませぬ。

 

だからまあ、できるだけ外に出た方がいいんかねえ。

 

こういう時は、往々にして、部屋が汚い。

今回もそれだったんで部屋を片付けた。

それでも変わらないのでどうしたものか。

 

バイオリズム的なものなのかも。

生活リズムが単調になっているかも。

とかいろいろ考えるんだけど、ねえ

 

ざっと最近はこんな感じです。

 

ブログ久しぶりだったので、簡単にとりあえず書いてみました。

 

ではまた

 

 

なぜ近代というものに惹かれるんだろうねぇ

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僕はだいたいこういう、近代建築が好きなんです。

 

はじめて小学校で、明治維新を習ったときに、それまでとは全く違う時代になってしまったんだなと衝撃を受けたことを覚えています。

 

文明開花とか、ざんぎり頭がどうのこうのとか、牛鍋をはじめて食べたとか、大日本帝国憲法とか、そういうものを習いました。

 

それまでの日本の歴史の中に、西欧由来のものを無理やり流し込んで、新しいカタチを模索しているかんじに惹かれるですねぇ。

 

それと、その、明治以降の話でも、時代は飛んで、

 

第二次世界大戦の話とか、地元では戦時中はこんな暮らしをしていたとか、戦後白黒テレビが普及して、じいちゃんは大阪万博を実際に見に行ってとか、そういういわゆる「近代」の歴史に、悪い点も含めて、どうも関心がある自分がいるのでした。

 

なんでかははっきりとは、わからないんです。

 

言えることは、リアリティがあること。今自分の生活に繋がってると感じられること。資料が他の時代に比べてがたくさんあること。それによって人間が多面的だと知れること。

 

話を広げすぎるとあれなので、近代建築に話を戻して言うならば、

 

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その建物が今まで残っているストーリーがあって、そこに当時の人たちのエゴ・野心・夢・希望のようなものがあって、建物を残しておこうと思う人々の想いがあって、そして絶対的な時の流れがある。

 

そういういわゆるロマンに、いわゆるエモを私は感じずにはいられないのでしょう。

 

そしてそのロマンの数が時代を経るごとに、老朽化やら都市開発やらの大人の事情で、減っていくんだろうなって考えると、自分の世代で失ってはならないという使命感にも駆られるんですねぇ。

 

ちょっと熱が入りすぎましたが、いろんな言い換えをして、語りましたけど、今回考えた結果、近代には、日常が、手垢のある生活感が、一人ひとりの暮らしが、感じられるから好きなのでしょう。

 

その結論だと、意外と現代であっても、生活感が感じられる資料(写真、動画)でも刺さる可能性がありますねぇ。

 

今日はこのへんで

ではまた

 

 

 

失われた年末年始の呪術感

こうありたいとか、こうなりたいとか、相変わらず苦手なんだなと前回の記事を書きながら思いました。

 

世の中には特に振り返りとしないで生きている人たちもたくさんいるのに、それでも来年の目標など、何かを目指そうという自分を強迫させるものはなんだろうね。

 

あけましておめでとうございます。

2020年ですね。 

21世紀も来るところまで来ましたね。

 

新年を迎えての感想は、とにかくやる気が起きない。なんなんだ。とてもぼんやりしている。それについては、時間が解決してくれるので待ちます。

 

でまぁ、一つ書き残しておきたいのは、年末年始感がまったくないこと。

 

なにが原因なんでしょうね。私が歳を取ったからでしょうか。29日まで仕事をしていたからでしょうか。

 

年末年始にある独特の呪術感がない。時の流れ方が異様で何か住んでいそうなあの感覚がない。

 

特に根拠はないのだけど、

 

餅つき、年末の掃除、鏡餅、おせち等々あらゆる行事が簡素化・廃止されたからでしょうか。

 

式典のように個々の儀式を行うことで醸成される雰囲気がなくなったような感覚がします。

 

あるいは、ネットやらであらゆるものを接続された結果、年末年始の特別感がなくなって、日常の延長になってしまったからでしょうか。

 

よくわからないですが、何かが、失われてしまったのでしょう。

 

といっても、そもそも、既に自分が育った時代も何かが失われた後なのかもしれませんが。

 

そんなかんじで元旦を過ごしています。

 

 

2019年の振り返りと2020年の目標

 

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終わりますな、2019年。

 

なんだか実感のないままはじまり、なんだか実感のないまま終わっていくなぁというのが正直なところところ。

 

そういえば、令和になったんだなと今だと時々、ハッとさせられます。

 

世の中の変化についていけなくなってるんだろうねぇ。

 

さて、特に誰も気にはしてないし、本人ですらほとんど忘れていた、今年の目標を振り返っていこうと思います。

 

 

来年の、2019年の、目標的なやつ - 諸般の事情がありまして

 

2019年の目標は、

 

「自分にとっての価値のあることと社会にとって価値のあることを擦り合わせる」

  

というものでした。この当時、私は京都に住み始め、インドに行くようになり、生活が一変しました。

 

何か新しく自分が変わっていくのだろうと、期待していたのか、いろんな目標を立てていました。  

 

そして何らかの形で自分という存在に社会性を持たせたかったのです。

 

こんなことを考えていた。

 

・お金についてお勉強
・中国語を勉強する
現代アート集団TEAM NIKOGORI
・絵やりたいな
・旅行と郷土史
・技術的にSNSを運用すること

 

どうだったんでしょうね。「旅行と郷土史」以外はほとんど手をつけていないですね。

 

言い訳すると、京都での生活は数ヶ月の間に、戦力外通告を受け、あっさりと終わり、意気消沈しているところに今の会社に拾ってもらい、そこから怒涛の労働の日々。

 

目の前の生活でいっぱい一杯でした。

 

でも、「旅行と郷土史」については非常に有意義な一年でした。

 

日本人からみた日本と、外国人からみた日本のギャップやその差の間に新しい文化が作れるんじゃないかなという直感みたいなものができましてね。 

 

あとは、日本の中でも地域ごとの歴史や食文化や、いろんな文脈があって、それらに気づけ、学べたことも、今後の人生において価値のあることだなと思います。

 

そういう感覚や学びのようなものを、もっと人との交流や仕事の中でカタチにしていきたいなという気持ちが、来年のテーマになるんじゃないですかね?

 

来年のテーマは、

 

「とにかく、つくる・発信する」

 

ですね。

で、テーマを実行していくために、以下のようなことをしていければと。

 

・人と交流する

・いろんな情報を触れる

・これまでの10年の振り返る

・これからの10年の種を撒く

 

いつだって人生の転換期にいるのだけど、むしろ転換しつづけることが人生みたいなところがあります。 

2020年も引き続き変化があります。プライベートに関しては大きく転換を迫られます。

 

仕事の面では同じ仕事を続けることができます。特に変えるつもりもなし、むしろ長く続けていけるよう善処したいところです。

 

こんな相変わらず、抽象的なテーマ、目標ですが、2020年もぐちををよろしく。

 

ちゃんとニュースも読もうかなと思います

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しばらくです。ご無沙汰してます。

2019年も終わりですな。

そういえば、今日はクリスマス・イブでしたな。

 

特に大きなイベントもなく、街にあふれるカップルに心を奪われることもなく、淡々と仕事をして、帰りに銭湯に寄って、シェアサイクルで最寄りのポート(駐輪場)から自宅近くまで移動し、スーパーで牛肉と水とニベア(乾燥防止)を買い、昨日作ったすき焼きを食べながら日本酒を飲み、今に至ります。

 

だいたい僕の生活感があふれる出ているのではないでしょうか。

 

そんな感じで、日常を過ごしています。

 

標題の話します。ニュースをもっと見ようと思います。積極的に。

 

その、これまでは、Twitterに流れてくる何らかの偏りのある煽り文句を添えられたニュース記事を見ていました。

 

なんかそれじゃあダメだな、という危機感がありまして。積極的に読んで、なぜそれに関心があるのか、あるいは、こういう世の中になっていくのだなといくらか考えながらニュースを読みたいなと思ったのです。

 

理由は、ほっておくと、なんとなく読んで、なんとなくいいね(旧ファボ)をつけて、なんか理解した気になる、ということを繰り返すことに危機感を覚えたからです。

 

10分でもそんな意識的に世の中を眺める作業を設けていきたいなと思っております。

 

それではまた

ミレニアム世代はなぜ社会貢献意識が強いのかって聞かれたんだが

先日の日経の一面。

 

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 SDGsが話題になっていた。一面だけじゃなくて、何面にもわたって企業の社会貢献意識はどうあるべきか的な話があった。

 

マーケティングをやっている友人から、そういうトレンドがあるとは聞いていたけれど、ここまでこう、世界、社会、地球環境、持続可能な発展に対して企業が何をするかが注目されるようになってきたんだな、とぼんやりと驚いていました。

 

「どうせパフォーマンスなんでしょ?」「それよりも給料あげなさいよ」みたいな穿った見方をしそうな自分がいましたが、CSR的なものかな。企業活動である程度広告費が必要なように、ある程度社会貢献活動も必要なのかと感じた。

 

ざっとしか見ていないのだけど、投資家もただ利益を上げるだけではなくて、そういう社会への貢献意識も含めて投資先を選ぶ傾向があるのとかないのとか。時代も変わってきたんだなということ。

 

マーケティングの友人に、こんなことを聞かれた。

「なんで私たちの世代、ミレニアム世代は社会貢献意識が強いんだと思う?」

 

いろいろ、自分なりの意見を話そうとしたけれど、いまいちしっくりこなかった。世代論というのは、なかなか抽象的な話になってしまう。

 

それで、その時はうまく話ができなかったので、自分に置き換えて考えてみた。

 

私もそれなりに社会貢献意識はあります。世界を変えたい論者であったし、今でも大きな主語はつけなくなったけれど、少しでもこの世の中をよくできたらと思っている。

 

じゃあなんで、そういう風に考えるようになったのか。というと、話は学生の頃に遡る。

 

さてさて、原体験語りがはじまるわけです。

 

おそらくなんですけど、よくいえば使命感、俗にいえばお節介、そういう類の感情から始まっていますね。

 

大した話じゃないです。

  • 学級委員を誰もやりたがらないからやる。
  • 部活のキャプテンを誰もやらないからやる。
  • 飲み会を誰も企画しないから自分がやる。
  • 旅行の計画を誰も立てないから自分がやる。

 

めんどくさいけど、誰かがやるとみんな得するってことあるじゃないですか。
「じゃあ仕方ない、自分がやるか」とそんな感じで生きてきました。


そこからですね、社会というものを考えるようになったときにも、誰もやらないだろうから自分がやらなきゃ、ってなったんですね。

 

そこから、国際協力にしろ、地域おこしにしろ、ボランティアにしろ、社会貢献意識のようなものができていったんだと思います。

 

でもまあ、そういうのって、大学時代に通じて、同じようなことを考えている人にはたくさん出会った。ああ自分はこれじゃなくてもいいなって思ったんです。

 

じゃあ何をするんだい?と自分が進んでいく方向はよくわからなくなった所はありますが、自分のためだけだと満足できない性分なんでしょう。気が向いたときに人の役に立ってないと自分が満足できないのでしょう。

 

あくまで自分視点なので、大した貢献意識ではないのですけど。

 

自分に関していえば、そんなことです。

 

また書きます。
ではでは

 

 

ひたすら近況でも書くか

こんにちは。

一週間休暇をいただいていました。

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休みの間の過ごし方

一泊二日で家族と旅行に行って、ダラダラした。一泊二日で一人旅をして、ダラダラして、今に至ります。明日からは交際相手氏と一泊二日で旅行をしてきます。そして、月曜から世間に復帰します。

 

この半年くらいはずっと走り続けてきた感覚があって、自分を見つめ直す良い機会になりました。見つめ直したところで、何か発見も進展特にはないですが。そういう時間があるということだけで、少しずつまた生活の仕方が変わってくるんじゃないですかね。

 

ということで、最近の僕について書いておきますかね。

 

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ニュースを見なくなりました

日中はだいたい仕事に追われていて、本当に見なくなりました。テレビも新聞もあまり見ないです。情報源がTwitterになりました。気になれば元のニュースも閲覧する感じですね。

 

こんなんで今後やっていけるのか、少し心配になります。というのは、Twitterしか見ないのは、情報源が偏る可能性があるからですね。

 

そんなTwitterですが、最近フォローを増やしています。半年くらい前は500くらいだったんですが、1000を目標に、リツイートで回ってきた人やその人からの派生とかで、少しずつ増やしてきました。

 

今、950くらいまできて、常にどこかで罵詈雑言が飛んでいます。

それぞれの人に会話のスタイルはあるとは思うのですが、これだけは言いたいのは、断片的な情報で感情的な判断をする人は怖いなと感じます。

 

特に政治的なニュースについて、一次情報を確認せずに、断片的な情報だけで、考え方が違う人に対して人格否定をする人を見ると恐怖を覚えますね。

 

自分も感情的な反応をしないことはないけれど、その、世の中で起きている出来事って、そんなに単純に動いてないし、何らか背景もあるだろうのに、ってこう色々事情を考えてしまうんですね。

 

あとは政治家っていうのは金に汚くなってしまう傾向にあるけど、そこにはそうなってしまう構造もあるだろうし、「政治家=悪」みたいな見方をするのってどうしても違和感があるんですよね。

 

世の中のいろいろな面倒な意思決定や調整ごとを、代理でやってくれているだろうし。じゃあ何で良し悪しを判断するのか、っていう基準は僕にはないので、つくった方がいいんだろうなあ。

 

というまあ、Twtterではそういう騒音はありますけど、有益な情報もあるので、適度に(これが難しいだけど)扱えればと思います。それに新聞もテレビもたまには見ます。

 

世の中の流れを理解するのには使えています。なので、反省としては、もうちょっと自分で考えたりだとか、深めたい情報は、本を読んだり、イベントに参加したりして、情報の多様性と深さを大事にしたいですね。

 

SNSにも投稿しなくなった

正確にはTwitterしかしなくなったという感じですかね。FacebookInstagramもそうですけど、出てきてた頃は、それまで触れられたなかった情報が手に入れられました。なので、毎日開いてみてきたわけです。

 

ところがまあ、最近、他人の動向に興味がなくなってきた。というと、ひどいやつだな。その別にもう、毎日見るほどじゃないな、という感じ。もともとそんなに社交的な性格でもないので、それほど積極的に活動してきたわけでもないです。

 

といっても、何もしないのはもったいないので、たまにはひょっこり顔を出した方がいいんだろうな。

 

こういうのはやりたい事や興味のあることを投稿しているからこそ、できてくる連鎖や反応があるのだろうし。

 

じゃあ、何に興味があるのかって言われると、何なんだろうな笑

 

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・筋トレとかそういうの

今関心があるのはですね、健康的で体力のある肉体を作ることだな。基本的に仕事を中心に生活が回っているのもあるし、プライベートにも十分な時間を当てるには体力が必要なんですね。

 

僕は刺激や疲労でお腹いっぱいになりやすい体質です。おそらく体力は人の6〜7割くらいしかないと思います。なので、何をやるにしても体力があるかないかが一番の判断材料になります。

 

歳をとるごとに、これはきつくなるでしょう。20代の今でさえ、己の軟弱さが情けないです。という課題意識があるわけですよ。筋肉隆々とはいかずとも、少しは耐性のある身体をつくって行きたいなあってところです。

 

・ということで

むやみやたらと長い記事になりました。

なんでしょうね、たぶん、適度に自分をアップデートしたりだとか、情報を整理したりだとか、そういうものに時間を充てて、自分を少しずつ改善していかんとなって感じですかね。

 

親にお風呂に入れと言われたので、今回はこの辺で