ぼくにとっての3.11


いや、どこかで、何がしかの形で書きたいとは思っていたのですが、いざ書こうとするとテーマがテーマなので、なかなか重たくなるわけです。

軽々しく口にすべきではない内容ではあるのですが、

あの出来事と、それに付随して起きた出来事にたいして、個々の人びとがどのように解釈するかは、それぞれの自由じゃないかと思うんですよね。

うーん、いや、「自由」というとやっぱり軽々しいですけど、


どのように感じていて、こんなふうに影響を受けたり、ぼくにとってはこういう出来事だった。と、そのような形で意見を表明してもいいじゃないかなと思った次第であります。

あれから7年がたちましたが、
2018年の3月11日にぼくは何をしていたかというと、

二度寝をしながらお昼くらいに目を覚まして、
美容室でどちらかというとEXILEグループが好きそうなお姉さんに髪を切ってもらって、帰る途中にオランダ菓子のお店に行って、ばあちゃんと母と妹にホワイトデーのおかえしを買うなどをしていてました。

 

そのあと、テレビや新聞やツイッター東日本大震災のニュースをみて、


そうか、あれから7年たったんだなと思っていたわけです。


それで、Yahooの震災の特集サイトをみたりしました。(雰囲気を伝えたいだけなので、リンク先をみて頂かなくてけっこうです。)

 

fukko.yahoo.co.jp


 

www.youtube.com

 

 

あーこれ長くなりそうですね。


2011年3月11日は、僕はボランティアをするために、フィリピンに向かっていました。たぶん、地震が起きた時間は飛行機に乗っていました。

現地についてから、ブラウン管のテレビで、臨時ニュースで日本が取り上げられているのを目撃して、これはえらいことが起こったと思いました。

そこからの、一つひとつの出来事を振り返ると、
情報量が多すぎるので、はしょりますが、

 


フィリピンで奉仕活動をして、日本に帰ったあと、大学がはじまりました。

ぼくはその頃、よく図書館に行ってました。
たいして読めもしないのに英字新聞を読んで、諸外国から日本はこのように見られているのだな、とインテリを気取っていました。


毎日のように、
福島原発についてとか、
物流がとまっているとか、
計画停電の話とか、
世の中が混乱していました。

そういうのをみていて、
「ああ、日本は、この国は、変わっていくんだろうな」と思ったわけです。

ちなみに、中東ではアラブの春も起きて政権が倒れたりしていたので、「ああ、世界も激動しているんだな」と思ったわけです。


けっきょく、たしかに、世の中は変わったのですが、なんだか思っていたものとは違った方向で変わってきましたね。

それまでのぼくは、世の中にたいして大きい変化を期待していたのですが、必ずしも、変化というのはよい結果だけをもたらす訳ではないと学びました。

きわめてふつうの学びですが。

きょうはそんなところです。

それでは