街の見る目が変わった

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諸般の事情があって東京にきた。しばらく滞在するのだけど、自分の知っていたトーキョーと比べてどのように、街が変わったのだろうかと、気がかりである。

 

早朝の東京駅周辺を歩いて感じたのは、大規模な建設が多いこと。山手線が新しい車両になっていたこと。

 

東京ガスというローカル広告がやたらとあったこと。通りぬけ禁止みたいな何かと人の行動を制限する注意書きが多いこと。

 

歩くサラリーマンの血色がよくなさそうなこと。いやまぁ、戦闘力が高そうなエネルギーに満ち溢れたリーマンもいらっしゃったけども。

 

 

 

あとは、これは僕の変化だけど、やたらと近代建築や古い建物に目がいくようになった。それと、町名や橋の名前の由来も気になってしまう。

 

 

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パソコンで作業のひとつでもやりたいところだけども、入ったスタバ☕️ではWi-fiは飛んでおらず、スマホ📱は通信制限がかかっていて、思うようにインターネット界隈を歩き回ることができない。

 

というわけで、ブログを書いているわけである。

 

今日もざっくりとこのへんにしておきます。

 

ではでは

 

 

 

20代と30代のあいだ

はい、どうもどうも。ぐちをです。ご機嫌いかがでしょうか。

 

今日はですね、ちょっと変わった話をしようかなと思っています。

 

皆さん、未来の自分の姿を思い浮かべることできますか?どんな姿をしてるでしょうか?将来の夢はなんですかね?

 

じゃあまぁ、たとえば、30歳の自分ってのはどうでしょう?

 

というのはですね、僕がちょうど大学を卒業した頃 、30歳はどうなってる?みたいな話をよくしてたんですね。

 

その当時の僕は、30歳になったイメージがなくて、というより、そもそも生きているかどうかすらわからない、みたいなことを考えていました。

 

ぼんやりしてるというか、真っ暗というか、何も見えないというか。

 

どちらかと言うと、死んでいたとしても不思議ではない。むしろ、その可能性の方が高いんじゃないかとさえ思っていました。根拠もなく。

 

その当時は、刹那的というか、まぁどうせ死ぬかもしれへんし、みたいな感じで、結構自分を粗末にしながら生きていたような気がします。

 

食べたかったら食べ、飲みたかったら飲み、みたい。わかりやすく言えば。そのおかげで貯金もあっという間に消えていってしまいました。

 

今は、その当時の自分がなかなか恨めしい。 

 

その当時の持っていた感覚が不思議で不思議で仕方ありません。それでもまぁ思っていたものは仕方わからないわけです。

 

多分、3年くらい前に、日本に帰ってきたあたりから、僕はこれからも生きていくんだろうなぁということを少しずつ感覚的に理解していったと思います。今振り返れば。

 

今27歳になって、 30歳までは生きているんだろうなぁと言うイメージが固まってきたし、もっと言えば、50歳になるとこんな感じなんだろうなという感覚すらあります。

 

将来、どういう風になっているかなんてわからないけれど、このどちらかと言うと線の細い体を大事にしながら、ゆっくりと身体機能を衰えさせながら、生きていくんだろうなぁと。

 

後は、どうなってもまぁ、僕だし、まぁこうなるんじゃないかなぁっていう想像の範囲が定まってきたっていうのもあるんでしょうね。

 

なんで23、24、25歳くらいの時期の自分は、人生がぼんやりしていたのか。あるいは、どうしてこの数年が形ができてきたのか。ふとそんなことを今日、考えたのです。

 

ではでは

 

 

春ですね。ようこそ無職

仕事についてというか、無職になる、なった話ばかりしているような気がします。

 

少しずつ暖かくなってきて、寒さの中にも春の陽気を感じることができる昨今。

 

暖かくなったと思えば、また凍えるような寒さがやってきたり。それでも確実に春に近づいているだなという確信が湧いてくる。

 

そう、季節は春へと向かっているのです。

 

そんな中、この世にまた新しい無職が誕生しました。

 

わかってます、自分でも。

 

「またか、また君は職を手放したんだね」と、みなさんが心の中でつぶやいているのは手にとるようにわかります。

 

「手にとるように」って一体何をとっているのだろうね。

 

さて、それはさておき。

 

特に何も言うことはありません。先ほど、申し伝えた通りです。

 

もう僕の人生というのはどうしようもないところにまで来てしまったんだな、というどうしようもなさ。

 

もはや、あきらめと一種の覚悟のようなものがあります。

 

なんというべきか、僕はもう、僕のやれることをやって、結果を残していくしかないということです。

 

とりあえず、しばらく続いた失業者になる物語はこれにて終了です。また就業者になる旅がはじまるわけです。

 

今日はこのへんにしておきます。

 

今度はほかのネタについて書きますね。

 

それでは

 

転々転々転職活動〜

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最近について話しておきます。 

 

転職活動はじめました。

しっかりと。キャリアコンサルタント様とお話しして。

 

先週までは、やたらめったに、書けていなかったブログやらnoteを書き殴っていました。

 

でもなんかこう、今僕が本来やるべきは、転職活動なので、なんかどうも書いていても、文章に力がないというか、浮ついていました。

 

文章が頼りないというか、書いていることに焦りがあるというか、ウソっぽい。それでこう、少しずつ自分の中に違和感が溜まっていく感覚がとても気持ち悪かったです。

 

なので、やるべきことをしていきましょう。

はい。

 

今日も、そのリクルートキャリアの人と喋っていました。履歴書を書け、アンケートを書け、3日以内に求人に応募しろ、と何かと注文の多いシステムになっていて、すこーし不服でした。

 

でもまぁ、なんとなく、ダラダラと遅れがちになってしまう意志決定を促してくれていると思えば、それはそれでよいのかな、とも納得している自分もいます。

 

実はもう一つ、別の会社の人にもキャリアコンサルをしてもらっています。

 

二つの会社の人から合計で50件ほどの求人をもらっています。その中で興味があるのは、5件ほどです。

 

それぞれで内定をもらった時の生活を想像して、その人生を良いと思えるか、納得できるのか、と考えております。

 

そういや、そもそも理想の生活ってなんなんだろうとか、考え出すとキリがなくて。

 

僕の経験上としては、それらのいろんな会社を比較して、生活を想像して、そこで働く覚悟を生むというプロセスが必要です。

 

その覚悟が生まれた時にはじめて、面接をしても、自分の振る舞いや受け答えに自信が生まれます。

 

それまでに、会社のことを調べるのはもちろん大事なのですが、覚悟を醸成するまでに、少し時間が必要だったりします。

 

別に何か特別なことはしません。堂々巡りのように、その会社で働けるのかなと何回も考えるだけです。それだけなのですが、時間が経つにつれて、しっくりくるか、しっくり来ないかというのがはっきりしてきます。

 

不思議なもので。

 

それを、一般的に、「じっくり考える」というのでしょう。

 

今日はそんなところです。

 

それでは。

クビが決まってから12日

クビになることが決まってから、10日ほど経ちました。とにかく当面どうやって生きていくのかということについては、だいたいのメドがつきました。

 

収入だとか、失業保険だとか、今後のある程度の展望だとか。

 

そして、今後のことをいろいろ考えてはいます。ですが、なかなかやることが多いので、タスク処理という意味では全然前には進めていないです。

 

やるべきことのほかに、やりたいこともあるからです。やるべきことに期限はないのですが、何も手をつけず、何もしないのは問題なので、少しずつやっています。

 

その少しずつが全体的にペースは遅れがちで、だいたい場合は、やりたいことに時間が費やされているのが、今の問題だったりします。

 

さてさて。

 

私の今後のサラリーマン人生におきましては、この、日本社会の労働環境の状況にどうやって適応していくか。自分の持てる能力と、労働条件や労働環境をいかにすり合わせていくかということです。

 

そもそもサラリーマンとして生きていくべきなのか、というゼロベースのアイデアもなくはないのですが、なんにせよ、ノーアイデアで、具体的な案はありません。

 

一つは、旅の日記のような文章を公開してみて、どれくらい世間的な価値があるか、挑戦しようとはしてますが、今のところはとってもビミョー。

 

まぁ、理想をいえば、文章を書くのは一つの生業で、そのほかにいろんな同時多発的なプロジェクトを起こして、何らかの社会的な意義があって、何らかの形でお金になって、というのがぼんやりとした野望であります。

 

なかなか、その理想は、絵に描いたもちなので、サラリーマンとしての選択肢が常に現実的なものとして現れてくるわけです。

 

その、何が問題かというと、自分のやりたいことは、やはり、金銭的にあまり価値はないし、目に見えたスキルもない。なので僕はその、やれることをやるべきなのかなということです。

 

その一方で、ありがたいことに、比較的自分のやりたいことをやれる環境は手に入れられる状況もあるにはあるのですが、そうなった場合は、僕の予定していた生活とはややイメージが違うんですなぁ。

 

そんな感じで、いろんなものを天秤にかけているわけです。

 

さてさて、どうしたものか。

 

ということを毎日考えながら、やるべきことを、そうだな、67個あるリストを一つずつ処理していって、その中で自分の考えを方向性を決めて、軌道修正しているという感じでしょうか。

 

なんでこんなに、人生の岐路のようなものがたくさん訪れるんだろうなと、自分の運命について、考えさせられるわけであります。

 

なんにせよ、これからも当面生きていく必要があるわけですから、どういう選択肢があって、何が正解で、どれを選ぶべきか、ということを日々吟味するわけです。

 

それはおそらく、これから、3ヶ月ほど続いて、それまでには何らかの結論を出さなくてはならないのです。

 

暫定な状況としてはこんな感じです。

 

ではでは

クビが決まって一週間

 クビの宣告を受けて一週間。

入社してからのいろいろを振り返ってみても、なにからなにまで、こちらが思い描いているものと、あちらのそれが、どうも合わないなあ、という印象はありました。なので、なるべくしてこうなったのかなという気持ちはあります。

「君の心は本当に美しい、だが、うちでやっていくのは無理だ」

 

こんなふうにクビを宣告されて、なんというか、まあ、能力がなかったということも合わせて伝えられたのだけど、こんなふうにクビにされるのはなんとも後味がよくない。

人材としていらない、君は無能である、と宣告されているのだが、人としては認められているから、やりきれないんですね。

無能と罵られ、人格を否定をされたのであれば、きっぱりとこの会社はくそだ、みたいな感じで、とっても怒りをぶちまけられるのですが、まあ、その、冷静に私という人間をみて、その会社ではやっていけないと判断されていることがわかります。

それが一層また、僕をなんとも言えない気持ちにさせるわけでもありますが。

僕は僕なりの言い分は、いくらかありますが、客観的にはみて、これは、雇用のミスマッチということで結論はつくのではないかなと考えております。

 

しっかりと失業保険も出そうなので、転職活動だとか、いろいろと今後の方向性について考える良い機会だととらえて、今の状況を受け入れるしかないんでしょうね。

「受け入れるしかない」というと消極的な印象ですね。それよりも、なんというか、起きている状況を、「ああ、そうだよなあ、こういう人生なんだなあ」と受け止めている感じも出てきましたな。

ようこそ、わたしの運命。

そんなかんじです。

 

どこで、なにを、していくか、

やりたいことと、やれることと、どうやって折り合いをつけるか、

 

まあ、そんなかんじです。

 

それでは

これこそ諸般の事情

クビになります。

 

こんなことを書く日が来るとは思わなかった。

人生。運命。これは定めなのか。

 

試用期間ということで、会社が求めている能力がなかったということで、解雇を告げられました。

 

まぁ、正確にはその二文字はなくて、雰囲気みたいな、察してくださいみたいな感じでした。

 

それはそれで、思いやりなのかなぁ、なんて思いながら、こちらとしては、寝耳に水、藪から棒、なわけですから、何も言葉が出てこない。

 

といっても、人事のみなさまは、私が告げる言葉を待っているようでした。なんというか、真っ白になってきたので、何もことばは出てきませんでした。

 

 己の無力さを実感した一日でした。


また職を探さなくては。

なんというか、人生だな。