ぼくが文章を書く理由

どうも。


いいブログ記事をみつけました。 

(やたらと長いので、読むという覚悟がないと読みきれません。)

 

言葉の生成について (内田樹の研究室)

 
良いと思ったところを抜粋すると、


たいせつなのはどういう「ヴォイス(voice)」を選ぶかということだと思います。「ヴォイス」というのは、その人固有の「声」のことです。余人を以ては代え難い、その人だけの「声」。国語教育目標は、生徒たち一人ひとりが自分固有の「ヴォイス」を発見すること、それに尽くされるのではないかと僕は思います。

 

「ヴォイス」はコンテンツとは関係がないということです。何を書いていても、書き手に「ヴォイス」があれば、読む人にはわかる。「ヴォイス」を形成するのは、コンテンツの含む情報の価値でもないし、修辞の巧みさでもない。「息づかい」なんです。「ヴォイス」のあるテクストは、すらすらと読めて、気持ちがいい。そして、心に残る。

 

 

自分がなぜブログを始めて、そのあと、なぜ小説を書き始めたのかということを考えたときに、自分の文章から出ている「感じ」のようなものを極めたいと思っていたのですが、

それに対して、一種の回答をこの記事でもらえたような気がします。


 

ヴォイス、息づかい。

 


なんというか、自分の感覚として、文章出る「感じ」というなんとも抽象的なものだったのですが、なんとなくやっていたことなんですが、

こういう他の人が同じように考えていたということにはすごく救われるものがあります。

このブログで内田さんが言ってることを、ぼくは3割も理解していないと思います。ですが、自分の中では、なんらかの方向性は理解したんじゃないかなと。

 

そんな感じで、個人的に感動をしたお話でした。


現場からは以上です。