仕事は6割の力でやる

 


こんにちは。
ごぶさたしております。

久しぶりに書くと、ちょっとなにを書いていいか戸惑ってしまいます。

このところは、休日にとてもエネルギーを注いでいて、平日の労働をほどほどにしてしまう傾向があります。
 
 
労働は労働。
いかに楽をして儲けるか。
そういう考え方になりました。

なんだか全体像ははっきりしないのだけれど、自分は人として、もっとこういうことをやるべきだ、というものがみえてきているからという事情があります。


だから、
そうですね、
今の僕状況においては、

いかに少ない労力でルーティンの仕事をこなすか。
比較されている同僚よりも頑張っている風にみせるか。
いかに個人的な活動のために体力を残すか。
 

そういうことを主眼におきながら、生きています。


まあ、その全体像がまだよくわからないから、なんのために生きているのだろうか、と時々考えこんでしまうときもあります。ですけど、確実になにかは見えてきています。

それは歴史とか、時代とか、生活感や人の営みとか、そういうものとつながっていると思います。

あるいは、文章を書いたりだとか、旅行をしたりだとか、コミュニティづくりだとか、そういうものともつながっていると思います。

たぶん。

ビジネス的には何にもならないのですが、自分にとってのなんらかの「仕事」だと感じています。

今日はそんなかんじです。

それでは

平成最後の夏

 

ご無沙汰しております。

 

はい。

 

最近ネット上では、よく平成最後の夏という言いまわしをよく目にします。

 

すでに今年の夏ははじまっていたのですが、梅雨の期間は夏というよりは梅雨で、梅雨の時期そのものが季節のような印象があります。

 

そして七月に入り、夏になりました。

確実に。

 

僕は今、つり革につかまっていて、目の前で座っている6人のうち6人が半袖で、6人のうち5人がスマートフォンを触っています。

 

だからなんだっていう話ですが、これが平成最後の夏の景色の一つでもあります。

 

iPhone Xをいじる女子高生だろうと、おっぱいがはみ出そうなキャバ嬢だろうと、扇子を持ち歩くサラリーマンだろうと、551の豚まんを網棚の上に置くおばあちゃんだろうと、

 

平等に平成最後の夏はやってきて、そしてそれは過ぎていくんだなということです。そういうそれぞれの人の営みがあることに僕は心が動かされております。

 

幸せな事もあるし、辛い事もある。眠い時もあるし、家でゴロゴロしていたい時もあるし、昼間から酒を飲みたい時もある。

 

たいていの場合、楽に、楽しく過ごしたい。でもまぁ、やらなくちゃいけないことをやらないと、生活が成り立たないわけで。

 

そうやって、僕の平成最後の夏も平等に過ぎていくのだと思います。

 

それでは

 

 

 

 

 

本番の前日

本番というやつを控えております。

その日のために準備をしてきて、今日はその本番の前日というやつです。

何の本番を控えているかについては、とても個人的なことでして、皆様方には、どうでもいいような類のことですので、ここでは割愛をさせていただきます。愛を割る!

わたくしにとっては、勝負をかけるというか、運命を左右するようなことです。
でもまあ、いくらか大人になってしまったので、それがうまくいかなくとも、なんとかなるだろうという、ある種の達観のようなものも持ち合わせおります。

もう、前日となった今さら、何をしてもそんなに変わらないので、無理をする必要はないですから、できるだけ体調を整える方向性に入っております。

しかしながら、安静に過ごすというやつはなかなかのくせ者で、とにかく落ち着かない。

けっきょく、だらだらとスマホを手にとってしまうのだけれど、それをしていると脳がぼーっととしてくるし、何よりも、そういう時間を過ごし方をしている自分を許せなくなってくるんですね。納得感がないというか。

それで、あまり普段していない映画をAmazonビデオ見だしたりするのだけども、やっぱりなんだか落ち着かない。

つくづく家で過ごすのが苦手なタイプの人間だなと思いました。

だらだら過ごしたいのだけど、妙に落ち着かない。


それで、雨が若干降りそうだったけど、ジョギングをしてきました。
走ると、走る事に集中するので、けっこう頭が整理されるんですね。
それに最近はまっているというか、癖になっているところがあります。


と、まあ、いろいろ試しながら、負担にはならないような事で、
自分の気持ちを落ち着かせようとしているわけです。

その一環として、こうやって文章も書かせて頂いているわけです。
後からこの文章をみたら、すごくおどおどしている感じに笑ってしまうだろうな。

そんなところです。
次は靴でも磨いてきます。

それでは

ハゲが来た

 

おはようございます。

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わたしの頭髪にも、夜明けが来ました。

なんとなくおでこの面積が広がったなと思いまして、
通っている美容室のお姉さんに相談してみたら、
サッと前髪をあげられて、

「髪をあげた時にですね、今の髪とおでこの境目がありますよね。


その境よりも前の部分に薄い髪や産毛みたいなものが存在していたら、それは頭髪が後退した証拠ですね。


お客様の場合はパッと見たかぎり
そんなことはないんでまだまだ大丈夫です」

そうやってわたしは安堵の表情を浮かべました。


なんだ、ただの勘違いか。
心配のしすぎか。
まだまだ大丈夫、人生これからだ、と。

そうやって、美容室で頭髪を意図的に伐採しました。

 

しかし、
家に帰ってから、

おでこと頭髪の間を、
まじまじ見て

じっくりと観察した。


すると、

どうも、
その昔、


そこには森があったような痕跡がありました。
そう、毛根が燃え尽きたような。

つまり、わたしの頭髪は、
ゆっくりではあるが確実に後退している。

それに気づいたわたしは、
洗面台を眺めて、
父の使っている育毛剤に手を伸ばしたのでした。

それでは

上半期レビュー

アローハー。
疲れてます。
テンションがやや狂っています。

どうもどうも。
ご機嫌いかが?


さて。

もう半年経ちましたね。2018年。

年初めに、
こんな抱負を書いてました。

 

gucci2017.hatenadiary.jp

 
政治については、
とりあえず、いろんな人に報告・連絡・相談など、

気持ちよく、その人のペースで動けるよう、
できるだけ怒られないよう、
怒られても最小限度になるよう、

意識しながら話を持っていくようにしてます。
なんというか、
本質的に仕事ができるかどうかよりも、

相手を不快にしないかどうかっていうのが、
僕が生きている世界では、
仕事の本質なんだろうな、って思います。

先回り、根回し。

 


金について、

昨年来、
仮想通貨は完全に、地に堕ちました。

トータル的に、私は、
プラマイゼロ、むしろ若干マイくらいです。
買った値段になるまで、首を長くして待っておきます。
ろくろ首不可避ッ。


株については、
2015年ごろに作った株の口座があるのですが、
完全に放置しておりました。

その、いざやろうとすると、
なかなか根気がいるもので、
やろうとする気力がわかず、
そんなこんな早三年。

うん。このままだとまずい。
なので、一日五分でいいからやります。
まずウェブ上での株の買い方からです。
なんとも初心者な言動。。。


そんなかんじで、
平成30年を生きているわけです。
それでは

東京に行ってきました

 

東京に行ってきました。

 

とても印象的なことがありました。

 

知り合いで、起業をした人と、フリーランスになった人がいました。

 

とても、今風で、東京的で、別世界に生きていました。田舎の中小企業で働いてる僕と比べて。

 

なかなか、もやもやとしたものが湧いてきました。

 

彼らに対する羨ましさ。彼らのようになれない自分。

 

でも少なくとも同じような時期に、同じようなコミュニティで、大学生活を過ごしたという事実。

 

この差はなんなんだ。

 

彼らは自分の決めた目標に向かって、日々努力している。

 

一方で、僕。

 

もちろん、僕は僕で僕なりに、やろうとしていることはあります。だけれども、彼らのような目に見えた結果はすぐに出ないです。

 

それに、彼らのような社会的な成功みたいなものとは違った世界に生きています。

 

そういうふうに生きることを選んだ、というのもあります。生き方の違いでしょう。

 

それはわかっているのだけれど、心がどこか落ち着かないものがあります。

 

どうしようもないのですが。

 

僕は僕なりに自分の決めた道を歩んで、決めなかった道とは決別して(敬意を払いつつ)、ちゃんと生きていこうと改めて思いました。

 

それでは

 

 

春から夏に変わっていくわけですけども

 

何も物を知らないということを痛感するようになりました。ハイビスカスやらステンカラーコートやらスズキのスイフトやら、そういうもの。名前は聞いたことがあったけど、実際の物は知らなかったりする。

 

たぶん、それぞれ見たことはあっても、この花、その服、あの車。そんな感じ。

 

この花、その服、あの車と、ハイビスカス、ステンカラーコート、スイフトが同じものであると認識するのには、僕の人生の中では比較的最近の出来事だったんですね。

 

仕事をはじめてからとか、文章を意識的に書きはじめた、比較的最近の話なんです。

 

別にそれでも生きてきたし、それでも生きていけるのだから、特に問題はないんですけど、

 

街を歩いていて、そこにある植物の名前もわからず、花としか、木としか、答えられないことに、なんというか、すこしさみしさ、かなしみが湧いてきたんですね。

 

逆にいえば、物を覚えていくことで、同じ景色を見ていても感じることが変わっていくんだなと思いました。

 

たとえば、田舎の水田の風景なんていうものは、用水路があって、あぜ道があって、稲が植えられていて、地方であればどこにでもある風景なのですが、

 

用水路に水が入る前には、自治会でおじさまやおばさまたちが、しぶしぶ、みぞの泥や草を取り除いたりだとか、

 

田植えをしているおじいさまやおばあさまが、60代だとか70代だったりするので、この風景が見られるのも、あと10年もないのだろうかと、

 

いろいろとそこに付随する、ストーリーというか、お話というか、そこに至るまでのプロセスというか、人の営みがあるわけで。

 

同じ景色を見ていても、同じ景色が巡ってきても、全く同じものはなくて、その自分の変化の分だけ、変わっていく風景がそこにあるんだろうなと。

(実際に田んぼがスーパーになったり駐車場になったりという変化もあるのですが)

 

そんなこんなで、少しでも、自分の感じたものを表現できるようになれればいいな、と思います。

 

それでは