米原発新快速播州赤穂行


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まいばらはつ、しんかいそく、ばんしゅうあこういき

 

と読みます。

 

今、僕が乗っている電車です。この路線は滋賀県にある米原駅から京都、大阪を通って兵庫県に入ります。

 

その後、一体どんなところかはわかりませんが、播州赤穂という所にいきます。

 

取り立てて有名なところではないです。終着駅としてのアナウンス以外で聞いたことがある人は珍しいと思います。

 

さて、なぜ、米原駅から大阪方面に向かっているかというと、和歌山に帰っています。

 

旅をしていました。仕事で。

 

なんとなく説明はツイッターやらフェイスブックでしてますが、旅が仕事になりました。

 

と、言うと、ノマド的ブロガー的フリーランス的な響きがいくらかすると思います。

 

中部地方の調査に行っていました。

 

旅行のプランになりそうなところへ赴いて、地元の人に話を聞いたり、地元の名物を食べたり、インスタ映えしそうな(とあくまで僕が思う)写真を撮ったりしていました。

 

まぁ、一つ言えることは、とにかく疲れた。

 

そして僕は明日から大阪に住みます。明日、引越しをします。明日ですよ、明日。

 

つめつめのこみこみで、人生が目まぐるしいでございます。

 

大阪に住むのは新卒の時以来。当時は、労働というものに順応していくので精一杯でした。仕事をしているか寝ているかでした。

 

それなりに楽しんではいましたが、とにかく必死だったという第一印象が記憶として残っています。

 

何が言いたいかというと、もう少しくだらない場末の居酒屋や、行きつけのバーだったりカフェだったり、そういうのが欲しいです。

 

大人の社交的なライフスタイル的なサムシングを得たいという密かな野望が私にはあります。

 

まぁ、それよりもまぁ、仕事仕事仕事になりそうな予感もしなくもないし、あとはプライベートな決断もぼちぼちしにゃならんとも思うわけで。

 

なんというか、相変わらず、落ち着きのなさには定評がある谷口でした。

 

ではでは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

疲れてますという近況報告

どうも。

 

この前書いたブログ、何が言いたいのか自分でもよくわからなかったです。

まあ、疲れていたんだろうな。

 

こうどうも、疲れていると言語力が低下する人間なのです。

助詞とかがおかしくなるんです。

 

かくいう今も、けっこう疲れています。仕事で。

 

さて、実は、仕事をまた変えました。

 

旅行系です。今もちょうど仕事で旅行をしています。いろんな地域を実際に訪れて、訪日外国人のみなさまにウケるかどうかを現地調査をしています。

 

これがけっこうしんどくて。一日中歩きます。一万歩は軽く超えます。だいたい10キロは最低歩きます。最高で18キロ歩きました。

 

歩くだけではあるのですが、これが地味に体に来るんですな。

人間疲れてくるとどうもダメです。

 

訳のわからない独り言が出たり、心の中で思っていることがそのままポロっと声に出てきたり大変です。

 

他にもいろいろあるのですが、今日はこのへんにしておきます。

しばらくブログを書いてなかったので、どういう風に書いていいのかわからない笑

 

ではでは

 

 

定点観測について

 

 

定点観測というものがある。その言葉をはじめて聞いたのは、とある友人がとある学生交流会を称してそう言った。

 

学生というのは、理想に燃えている一年生がいて、就職活動にあえぐ三年生がいて、というような形で人間は違えども、同じような経路を辿る。サークル活動に燃える者、途上国の現状を憂う者、人間が違えども、同じような問題意識を抱えて生きている。

 

毎回人は違っても、参加する人の質は同じであることから、友人はその場所での景色は常に同じであるから、観測する自分がどう変わったのか、と考えていたのだろう。

 

急にそんなことをなぜ話しはじめたかというと、なかなか定点観測というのは、歳を取ると難しい。

 

自分の変化はもちろんあるだろうけど、一方で周りにいる人間も変わっていくから、どこに観測点を持ってくるかいうのは、よくわからなくなる。不安定だ。

 

ということで、僕は地元の景色に定点を置いていた。数年くらい前まで。しかし、土地の景色というのも、どうやらこれも不変ではないようだと気づいた。

 

田んぼが埋められてパチンコ屋ができてたり、家が取り壊されて駐車場になっていたり、景色が変わってしまうのだ。

 

なので、思った以上にそれぞれの物事というのは流転しているんだなと。諸行無常ってやつだと。

 

そんなことに別にこだわらなくてもいいんだろうけど、僕はどうも、そういうことにこだわってしまうタイプの人間なのだ。自分がどういう風に変化しているのか。

 

 

 

そこでけっこう重要になってくるものがある。

本。

 

僕は「ノルウェイの森」を3ヶ月〜半年に一回くらい読む。それでいつも面白いところ感じるところもあるのだけど、毎回微妙に刺さる箇所が違ったりする。

 

だから何ということもないのだけど、そういう同じものを読んだとしても、自分の感じ方が変わっていることに気づくのだ。

 

定点観測というと、ちょっとわかりにくいのだけど、そういう自分の心理や思考を映す鏡って貴重なものなんだなと、なんとなく思った話でした。

 

ちょっと自分が観測するのか、観測されるのかということがうまく整理されてなくて、ややこしい文章になってしまったが、言いたいことはなんとなくわかってくれるでしょう。(読者に丸投げ)

 

ではでは

 

 

 

 

軽く近況を

もう最後にブログを書いてから、1ヶ月が経とうとしている。

 

あまり、つらつらと書く気力がない。なので簡潔に述べると、私はとても疲れている。

 

精神的にではなく、たいへん体力的に。

 

自分が主体で時間をコントロールしていたいと私は思っている。だけれど、このところは時間が主体で自分がそこについてくるという感じ。

 

気がつけば朝で、ふと我に返ると夜である。また明日に向けて寝ないと、その次の日に支障をきたす。

 

その少し、支障をきたすリスクを取ってこの文章を書いている。

 

まぁ、それだけです。

またお会いしましょう。

 

母の日なのでそれらしいことでも書こうか

 

 

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どうも、こんにちは。ぐちをです。


今日は母の日ということで、とてもベタなベタですが、カーネーションを母親にあげました。

 

だいたい、こういう世間が決めた行事ごとというのは、その昔は「消費活動を促されている」と反発していたので、「意地でもプレゼントなどするものか」と決意を固めていた時期もありました。

しかし、人間というものは変わるもので、歳をとるごとに人間としての柔軟性を獲得してきた僕は、きちんと世間様のしきたりに沿うようになり、母の日には何らかの形で謝意を伝えるようになりました。

というわけで、本日はですね、母に関連する物事について書こうと思います。

 

母そのものについて書こうとすると、どうしても個人情報保護の観点からよろしくないと思いますので、性格に主眼を置きながらお話を進めます。ご理解いただけますと幸いです。

 

僕は大学を出てから一人暮らしが長かったものですから、改めて家族と住むようになって感じたのは、DNAというものはどうしようもないものだなということ。

 

家族を見ていて、こういうところ嫌だな、と感じることはたいてい、僕自身もそういう側面があったりして、なんとも言えない気持ちになります。

例えば、母について言えば、整理整頓、部屋の秩序を保つ、ということが大の苦手でして、その性質を僕は大いに受け継いでおります。母ほどではないですが、基本的に僕も片付けというものが苦手です。

意識的に片付けをする時間を設けようとしないと、部屋は物であふれ、みるみるうちに汚くなり、その結果、何をどこに置いたのかを忘れ、あらゆる物を無くしてしまいます。

 

あるいは、自分の感情や気持ちを言葉にするのが得意ではなくて、そういうところも僕はしっかりと受け継いでいます。

 

うまく自分のことが表現できないので、自分の感情の理由もうまく伝えることができなくて、気が短いところが、僕にも母にもあります。

 

と、まあ、先ほどからあまり一般的によくないとされることを述べましたが、いいところももちろんあるわけです。

 

わざわざ褒めることはあれですが、母は大事にすると決めた人はとことん大事にします。自分を犠牲という大げさですが、自分のことを我慢してでも積極的に人の為に動く人です。愛が深い人だなと常々思います。

 

まだ他にも良いところはありますが、そういう趣旨ではないので、別に取り立ててここでは話さないでおきます。



なんでしょう、今回この記事を書いて気づいたのは、普段からあまり、家族について評価を特にしていないんでしょうね。こういうところが良いところ、悪いところ、なんてことは意識していない。

 

そういう人だからと、全面的に受け入れているんでしょうね。良く言えば。

というのは、家族が家にいる時の人間性というのは、本当にその人自身ですから、なかなか変えることは難しいでしょうし、変えようとも思ってないんでしょうね。

 

その人自身である状態と生活していくのだから、どう合わせていくかという前提が僕の中にあるんでしょうね。

だから、今日、母についていくらか語ろうとする機会はなかなか新鮮な感覚でした。

 

いつもお世話になり誠にありがとうございます。(ビジネス風)

 

ではではこのへんで

 

 

新しい時代の幕開け

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CMとかでよく使われる言い回し。ダイエット食品にしろ、銀行にしろ、だいたいいつも新しい時代に突入しがち。

 

いつも時代は新しくなっているとも言えるのかもしれないが、ありきたりだなと感じてしまう。

 

しかしながら、今回ばかりは、リアルガチ新しい時代の幕開け。ありきたりだと言った僕だけども、本当は自分は使いたいと思っている人。

 

それでは、使わせていただきます。

新しい時代の幕開けです。

はい、どうもありがとうございます。

 

令和に伴って開催された10連休。最終日の今日、僕はスーパー銭湯にいた。

 

ツイッターのどこかで誰かが言っていたけれど、この連休の過ごし方は老後の過ごし方を如実に反映しているらしい。

 

僕は前半は結婚式に出席し、旅行した。後半はずっと家にいた。

 

プロ野球のテレビ中継をみて、プロ野球のテレビゲームをしているうちに時が過ぎた。老後の過ごし方理論にもとづくと、早急にボケてしまわないか心配である。

 

知り合いの状況を見聞している限り、旅行をしている人が多かった。ウラジオストックに行ってシベリア鉄道に乗った彼は羨ましい。

 

あるいは、プログラミングに勤しんでいた彼もいた。老後の過ごし方理論に基づくと、彼は一生働くのかもしれない。生涯現役。

 

とにもかくにも、この連休で令和の夜明けが終わり、明日から令和の朝がやってくるのだろう。

 

平成生まれは一時代前の人間になる。時代の変化は激しい。この前インスタのストーリーを上げるのにとても苦労した。平成おじさんはつらい。

 

これからはそういう時代の変化に頑張ってついていかないと自動的に遅れた人間になるんだろうな。

 

でもまぁ、今のところ若者をやらせてもらっていて感じることは、みんなみんながSNSをやっているわけでもないし、ユーチューバーやTikTokをやってるいるわけでもない。

 

だから無理してSNSをいつものように更新している中年の方はちょっとあれだし、仮にユーチューバーをやっていたりすると、身構えてしまう。

 

一方で、中年でも、LINEをしてない方だと不便だし、スマホを持ってないからと言って何でも人に聞いている方には、いささか古めかしさを感じる。高齢者もちろん仕方がないが。

 

思うのは、時代の先端的なところに喰らえつかなくとも、若者の中間層的な時代感覚は理解できるような人間でありたいなと。

 

そんなわけでそろそろスーパー銭湯から自宅に帰る。

 

ではでは

 

 

 

 

 

文化的生活を取り戻す

 

久しぶりに文化的生活をしている気がする。

 

何もかも忘れて旅をした。本を読んだ。今は映画を見ようとしている。

 

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常になにか目標があって、それを消化する毎日をしていた。それはそれで活気があってよろしい。

 

でも、なんとなく生活に余白がない感じはさみしかった。

 

ダラダラお酒を飲んで肝臓を痛めつけるとか。天皇陛下と皇后さまのなれそめを繰り返し続けるワイドショーを見て、「もう飽きた」と嘆くこととか。

 

そういう生活を久しぶりにして、愛しかった。

 

お金を使いすぎたので、しばらく慎ましく目標を消化する生活に戻ろうと思う。

 

そしてまた、気が向いたらどうでもよい暇そうな文書を書くので、そのときはよろしく。